尾崎豊「僕が僕であるために」スノーボード平野歩夢選手のやる気をあげてくれた曲


「僕が僕であるために」尾崎豊 1983年12月1日リリース

北京オリンピック金メダル、スノーボード平野歩夢選手のやる気をあげてくれた曲

北京オリンピック、スノーボード、男子ハーフパイプで金メダルを獲得した平野歩夢選手。よくイヤフォンをしている姿を見かけますが、どんな曲を聞いているのでしょうか?

スノーボードの選手というと、ヒップホップやレゲエの曲を想像してしまいますが、2019年のインタビューでは、意外なアーティストの名前をあげています。

共感して聞いていたのが尾崎豊で、自分の命までかけたというのが刺激的でインパクトを感じた。一番好きな曲は「僕が僕であるために」で、自分のやる気をあげてくれる。

と、ファースト・アルバム『十七歳の地図』の最後に収録されている一曲を好きだと答えているのです。

アルバム『十七歳の地図』のレコーディングは、当時高校三年生であった尾崎さんにとって初となるレコーディングとなったのですが、休み前に校内での喫煙や渋谷での飲酒によって無期停学となっていて、その期間にレコーディングが開始される事となったアルバムです。

尾崎さんは、歌詞の「盗んだバイクで走り出す」や「夜の校舎、窓ガラス壊してまわった」などの反逆のイメージが強く、不良の歌というレッテルを貼られがちなのですが、世間とズレた自分の居場所を探す歌が共感されたアーティストです。

渋谷のルート246の青山通り、金王坂を上り始めるところにかかる歩道橋を渡った所、クロスタワーテラスに「尾崎豊記念碑」があります。尾崎さんの銅板モニュメントと「十七歳の地図」の歌詞プレートがあり、そのまわりのレンガの壁には、ファンが尾崎さんに向けて書いたメッセージが所狭しと書かれています。

尾崎さんは高校時代に青山学院高等部に通学し、学校の帰り道によくこの場所から夕日を眺めながら、この街の中でどう生きればいいのかを考えていました。

「僕が僕であるために」もこんな一節が

僕は街に飲まれて、少し心許しながら
この冷たい風に歌い続けてる

反逆の一言でくくられがちな尾崎さんですが、実はず嫌いであり努力家でもあったと言われています。

当初、ギター演奏も下手であった尾崎さんですが、プロデューサーに「どんなに有名な野球の選手だって、最初からホームランを打っていたわけじゃないだろう。ひたすら練習する事で、克服してきたんだよ」と告げると、がむしゃらに練習して、ギターが上手くなったといいます。

それは、見た目のファッションなどから不良っぽくみられがちなスノーボーダーの姿にも重なります。オリンピックに出場する為に、どれだけ努力したのか。

そして、北京オリンピックでの金メダル。その戦いの中には負けず嫌いの一面も。

1回目から超大技トリプルコーク1440(斜め軸に縦3回転、横4回転)を成功。しかし決勝2回目にトリプルコーク1440を決め最高難度のトリックを連発したにもかかわらず、得点は91・75で2位。首位のジェームズの92・50に届きませんでした。

「2回目の得点には納得いかなかった。その怒りをうまく最後に表現できた」

3回目、フロントサイドトリプルコーク1440などを完璧にこなし、96・00で大逆転での金メダルとなりました。

「僕が僕であるために」の歌詞には、こんな一節があります。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか、それがこの胸に解るまで

もう一つ、平野歩夢選手と尾崎豊さんの共通点、誕生日は二人とも11月29日です。

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【カバー】

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