「君は天然色」大瀧詠一 1981年3月21日リリース
妹の死で歌詞をかけなくなった松本隆の復活を待ち続けリリース!
2013年の12月30日、音楽界に衝撃が走りました。
大瀧詠一さんが亡くなったというニュースが飛び込んで来たのです。
大瀧さんも所属していた「はっぴいえんど」の元メンバー細野晴臣さんは「彼の中に詰まっていたポップスの宝庫はどこに行くのか…」とあまりにも早すぎる死を惜しみました。
大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂というメンバーの「はっぴいえんど」で日本語ロックの世界を確立しつつ精力的に、音楽にまつわる知識や技術を、研究。大瀧さんの頭の中にあるのは、常に音楽の事ばかり。
その集大成として、1974年には、自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニア・原盤制作など、全てをこなすプライベートレーベル「ナイアガラレコード」を設立しました。
ところが、その高度なテクニックと、音楽性から、プロの間では高い評価を得る物の、大瀧さんの趣味が強く出た楽曲は、万人受けはせず、売り上げが低迷。レーベルも休眠状態に。
この頃から、自分の音楽ではなく、他のアーティストのプロデュースを手伝う活動が多くなるのですが、その時に再会したのが「はっぴいえんど」のメンバーだった松本隆さんでした。
松本隆さんも、バンド解散後、作詞家に転向しますが、書く歌詞が、マニアックすぎて、一般ウケしないと言われた時期がありました。歌謡曲を手がけるには、わかりやすい世界観も必要と言われ、作風を変えたのちに、ヒット曲を連発していた時期。
そこで、大瀧さんは、新しいアルバムの曲の歌詞を、松本隆さんに託す事に。
そのアルバムの名前は『A LONG VACATION』本来、大瀧さんの誕生日である7月28日にリリースする予定でした。ところが、松本隆さんの妹さんが若くして亡くなった為、ショックで詞が書けなくなり、「作詞を降りる」と告げてきたのです。しかし、大瀧さんは「発売を延ばす。待つよ」と言い、結局、アルバムは、翌年の3月の発売となりました。
松本隆さんが書いた詞には「想い出はモノクローム、色をつけてくれ。もう一度そばに来て、はなやいで麗しのカラーガール」という一節があります。妹さんを看取った後に歩いた街がモノクロームのように見えたのだそうです。この曲はショックから立ち直ってから、妹さんの事を想って書き上げた歌詞です。
発売当初、売れ行きは低迷していたのですが、徐々に「いいアルバム」である事が、口コミで広まり、本来の発売予定だった、夏に入って、チャート2位まで上々する大ヒット。アルバムの一曲目に収録されてたのは、この曲でした。
『A LONG VACATION』は発売1年で100万枚を突破する大ヒットに。当時はレコードからCDに切り替わろうとしていた時期。発売から1年半後の1982年10月1日、世界初のCD化タイトル20枚の中に選出されています。
【カバー】