「Automatic」宇多田ヒカル 1998年12月9日リリース
ラジオだけでプロモーションをしてヒット!
意外なようですが、宇多田ヒカルさんは、アーティストデビューより、ラジオDJとしてのデビューの方が先でした。12月にデビューする、その2ヶ月前の10月から、彼女のレギュラーの番組がスタートしたのです。
そして、名刺代わりの一曲として、彼女のデビュー曲である、「Automatic」が、ラジオで流れ始めたのでした。
新曲のプロモーションとしては、異例の早さの2ヶ月前の解禁。しかし、これが驚異の新人を誕生させる、最初の一手だったのです。
当時、まだ、15歳だった宇多田ヒカルさんは、労働基準法などの関係で、夜に収録される音楽番組には出演する事が出来ず、また、学業の優先もあげていたので、テレビなどには出演しませんでした。その為、ラジオを中心とした、プロモーションだけを行う事を決めたのです。ラジオから流れる「Automatic」は、すぐに音楽好きの人達の耳に止まり、これを歌っているのは誰だ?と、話題に。
調べてみると、このアーティストの宇多田ヒカルは、まだ15歳で、作詞も、作曲も自分で行っているという事が、徐々に判明すると、人々に衝撃を与えました。さらに、母親はあの藤圭子さんであると判明し、デビュー前から、彼女の噂は、もの凄いスピードで広がって行きました。ラジオのプロモーションだけに絞っていたのに、リリースと共に、あっという間に100万枚を突破!
デビュー曲がミリオン突破というニュースに、テレビや週刊誌までもが、彼女の存在を追い始めます。しかし、出演するのは、ラジオだけ。そこで、素顔が知りたいと、調べれば調べるほど、CDのジャケットや、プロモーションビデオに、たどり着くような、仕掛けにもなっていました。こうして、ラジオというメディアをきっかけに、宇多田ヒカルという名前は、世の中に浸透していく事になったのです。
デビュー当時のラジオの収録風景。
【カバー】