実はYMOチームによって作られた軽快テクノポップ!「赤道小町ドキッ」 山下久美子

20150810-1
「赤道小町ドキッ」 山下久美子
1982年4月1日リリース

山下久美子さんは、1980年に、1stシングル「バスルームから愛をこめて」でデビュー。

デビュー曲のプロモーションは、ライブハウスを地道に回って、多くの人達に山下久美子の唄を聴いてもらう、というものでした。都内のライブハウス、新宿ルイードでのライブ活動もスタートさせます。佐野元春さんや尾崎豊さんも、ここで歌い、新人の登竜門とされた歴史のあるライブハウスです。

とにかく多くのライブを重ねるという活動が功を奏し山下久美子=ライブというイメージが出来あがります。その為、学園祭シーズンには、彼女のもとへ出演依頼が殺到し、新人女性歌手としては最多の13校もの学園祭に出演したことで、音楽関係者の間で”学園祭の女王”と呼ばれるようになります。

当時の女性シンガーとしては珍しく、ロック色の強いライブで、お客さんが総立ちになる事から、「総立ちの久美子」という異名も。こうして現場主義、とにかくライブを大切にして活動していきました。

そんな女性ロックシンガーとしてのイメージを、ガラリと覆したのが、1982年4月に発売された、山下久美子さんの6枚目のシングル「赤道小町ドキッ」です。

化粧品メーカーの「カネボウ」から、その年の夏のキャンペーンソングを歌って欲しい”という依頼が舞い込みます。曲は、当時のアイドルスター、松田聖子さんを手がけていた松本隆さんと、細野晴臣さんのコンビが担当する事に。

そしてレコーディングに集まったのは、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、YMOのサポートギタリストの大村憲司さんという、YMOチーム。

それまで、ロックナンバーばかり歌ってきたので、テクノポップのリズムに乗って歌うことに、なかなか慣れず、アイドルのような歌詞の世界もつかめず、何度も何度も、歌い直し。レコーディングのOKが出るまで、苦労の連続でした。しかし、そうした苦労の末、歌いあげた「赤道小町ドキッ」は大ヒットとなり、これまでの、山下久美子とは違う魅力が、花開く事になるのでした。

この曲がヒットした事で、音楽番組『ザ・ベストテン』にも、初出演。それまでは、ロックファンの間では、有名でしたが、この曲によって、ファン層が広がり、多くの人に愛されるアーティストとなって行きました。

【カバー】

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