「栄光の架橋」ゆず 2004年7月22日リリース
富田選手が予定より1回転多く回ったので、実況アナはとっさに「描く放物線は」という言葉を入れ込んだ!
2004年初め、ゆずにTV番組の楽曲オーディションの話が持ち込まれました。それは、NHKの、アテネオリンピックの放送のテーマ曲。
各レコード会社に、「4年間が凝縮された瞬間に、全力で挑む選手への共感や感動を素直に表現でき、さらに世代を超えて支持をされるアーティストを推薦して欲しい」と依頼が舞い込み、所属のレコード会社は、「ゆず」の二人を推薦しました。
「栄光の架橋」は、こうしたオーディションの依頼があってから作り始めた曲です。
ところが、北川さんは、なかなか曲が書けませんでした。オリンピックという大舞台、そこに選ばれた選手達。その気持ちがどうしてもわからず、歌詞や物語が浮かばなかったのです。
そこで、オリンピックを一度取っ払って、自分たちが歩んで来た道のりで、感じた事を歌にする事にしたのです。
生きて行く中で負けること、悔しかったことはだれにでもある。でもその中で、頑張ってきて良かったという瞬間もあるはずだから、それを歌にしようと。
こうして、完成した「栄光の架橋」ですが、実は、リリース当時は、前作を下回る売り上げでした。ところが、オリンピックが開幕し、日本の選手が活躍しはじめると、テレビ中継のハイライトで流れるこの歌が、注目を集めるようになり、売り上げを伸ばしていく事になります。
クライマックスは、体操男子団体が、28年ぶりに金メダルを奪還した時の中継。金メダルがかかった、冨田洋之選手の鉄棒の演技に、刈屋富士雄アナウンサーは、この曲の事を重ねて、こう実況しました。
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」
オリンピック体操男子団体での実況、実は当初は「伸身の新月面は、栄光への架け橋だ!」という、言葉を準備していたそうです。ところが予定外の事がおきたのです。富田選手が、フィニッシュまでの回転を1回多く入れたのです。そこで刈屋アナは、とっさに「描く放物線は」という言葉を入れ込み、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」という実況に、なったのだそうです。