八神純子「みずいろの雨」売れなければ実家に連れ戻される所だった!

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実は大富豪のお嬢様、この曲が売れなければ実家に連れ戻される所だった!
「八神純子」みずいろの雨
1978年9月5日リリース

今、テレビではお金持ちのお坊ちゃま、お嬢様タレントが取り上げられたりしますが、デビュー当時の八神純子さんも、大富豪のお嬢様として話題になった人です。

医療機器の専門商社、4代目の会長の娘として、名古屋にある3千坪の大邸宅で、育ちました。3歳からピアノの英才教育を受けましたが、歌が好きで、高校生になると、ボーカルスクールにも通い始めます。

そして、曲作りも始め、16歳の時に、自分で作詞作曲した「雨の日のひとりごと」でヤマハポピュラーソングコンテストに出場。見事、優秀曲賞に入賞し、同じ曲で第5回世界歌謡祭に出場しました。20歳の時に、満を持して、メジャーデビュー。

デビューシングルの「思い出は美しすぎて」も売上12万枚のスマッシュヒットとなり、歌手活動も順風満帆と思われました。ところが、2作目でつまずきます。

レコード会社の関連のコンテストに出場し、グランプリを取ったアーティストが、メジャーデビューをせずに引退。そこで、宙ぶらりんになった、そのグランプリ曲を、大人の事情で、八神さんがカバーする事になったのです。本人の意思ではない、セカンドシングルのカバー曲。こちらは、やはりヒットしませんでした。

初めてのつまずき。大富豪である両親からは、一転して、もう歌手なんか辞めろという、通達が。つまずいた事で、上京しての活動も反対され、歌手生命の危機に立たされます。

そんな中、これで最後と両親を説得し、3枚目のシングル曲を作るために、渋谷のホテルに宿泊しました。今度こそ、自分で作った曲を歌いたい。しかし、ヒットしなければ引退というプレッシャーがのしかかります。

気分転換の為に、原宿を散歩していた時、何気ない妄想がはじまりました。当時、岩崎宏美さんの声が好きで、あんな風に歌いたいと思っていたのですが、彼女には、どんな歌が似合うんだろう…。そう思いながら、原宿の歩道橋の会談を登った時、メロディーが浮かびました。そして、歩道橋を渡りきった時には、もう曲が完成していたと言います。それが、3枚目にシングル、「みずいろの雨」のメロディーだったのです。

この曲を同年に3枚目のシングルとしてリリースしたところ、ラジオ番組を中心にリクエスト回数が増え始めます。さらに「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に出演したことで一夜にして大ブレイク。彼女を、引退の危機から救った、一曲です。

【カバー】

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