山口百恵「秋桜」この楽曲が当て字にした事で秋桜と書いてコスモスという読み方が定着

「秋桜」山口百恵 1977年10月1日リリース

この楽曲が当て字にした事で秋桜と書いてコスモスという読み方が定着した

山口百恵さんのシングル楽曲は、作詞は千家和也さん、作曲は都倉俊一さんが手掛ける事が暗黙の了解となっていていました。しかし「早熟な少女」というイメージの曲ばかりだったので、ディレクターは曲の幅を持たせる為に、アルバムには「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせた阿木燿子、宇崎竜童のコンビに楽曲を依頼。それを気に入った百恵さんが、シングル曲にこのコンビを指名したのです。

そして「横須賀ストーリー」から「イミテーションゴールド」まで、今を生きる女性を描いた曲で、新たなブレイクを迎え勢いにのっていました。そんな時に、さだまさしさんの作った、しっとりとした楽曲「秋桜」が発売され、ファンの間でも賛否を呼びました。

実は、曲を依頼したのはディレクターでした。1976年にグレープを解散し、ソロ歌手となったばかりの、さださんが、山口百恵に興味を持っているという話を聞き、自宅を訪ねて楽曲を依頼したのです。さださんは、彼女の事について、色々話を聞いた上で曲を書きたいと言ったので、定期的にさださんの家を訪れて、百恵さんの近況や出来事などについて報告していました。

そんな時、さだまさしさんが歌ったシングル「雨やどり」が大ヒットして多忙になってしまいます。会うことも出来ず、楽曲提供の話は立ち消えになりそうになっていまったのです。そんな時に届いたのが「小春日和」と書かれたデモテープ。さださんは「雨やどり」など女性が主人公の曲は、妹の佐田玲子さんをイメージして楽曲を書いていました。この楽曲も妹さんが嫁ぐ日を想像しながら書きました。

「小春日和」というタイトルはプロデューサーの坂井政利さんの提案で「秋桜」に。当初は秋桜の和名である「あきざくら」と読ませる予定だったのですが、コスモスの当て字にした所、この曲がヒットした事で、秋桜をコスモスと読むという事が定着しました。

ちなみに「秋桜」は秋の花なので、小春日和は秋という事になります。春の少し暖かい日だと思っている人が多いのですが、秋から冬にかけて、寒い日の間に現れる春のような陽気の事を表す用語です。天気予報の解説などで、この楽曲を例にして、秋の用語だという事が説明される事が多いです。

さて、妹さんの結婚を想像しながら書いた曲なので、18歳の百恵さんに「まだピンと来ないでしょう?」と尋ねたら「はい」という返事が返って来たそうです。しかし、結婚を期に引退するラスト・コンサートの日に「この歌の意味がようやく分かりました」と、さださんにメッセージを送っています。

【カバー】

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