矢沢永吉「アイ・ラヴ・ユー、OK」バラード曲で矢沢離れで客が200人。悔しい思いで歌った

「アイ・ラヴ・ユー、OK」矢沢永吉 1975年9月21日リリース

2千人のキャパに客が200人。悔しい思いで歌ったソロデビュー曲!

矢沢永吉さんの著書「成り上がり」。これを読むと、この「アイ・ラヴ・ユー、OK」が、矢沢さんにとって、いかに大切で、勝負の曲だったか、いろいろなエピソード中で、紹介されています。

曲が出来たのは18才の時、広島にいる頃で、まだバンドもやっていな時代。当時は、板金屋さんに勤めていたのですが、ビートルズの音楽に触れて、ミュージシャンに憧れ、そんな中で書き上げたのが「アイ・ラヴ・ユー、OK」

卒業したら、スーパースターになる為に東京に行くと、列車に飛び乗ったのに降りたのは、何故か横浜。そこでバイトをしながら、レコード会社にデモテープを持ち込みます。

しかし、当時はまだ歌詞が「アイ・ラヴ・ユー、OK」だけで、他の歌詞がついていなかったので、イメージが湧かないと、2つのレコード会社から、断られてしまいます。その時に、「この曲は絶対いい曲だ!いつかこの曲で天下を取ってやる」とそう心に決めたのでした。

のちにキャロルとして活躍し、その名を世間に轟かせるももっと上に行きたいという矢沢さんと、他のメンバーの間で温度差が生まれ、約2年半で解散。

矢沢さんは、解散したら、キャロル時代の名前や楽曲、所属事務所やレコード会社から離れ、スタッフの全てを入れ替えて、一から生まれ変わる事を決断します。

そして勝負の、ソロデビュー曲として選んだのが「アイ・ラヴ・ユー、OK」。

しかし、キャロル時代のロックロールを期待していたファンに、情緒的なバラード曲は、総スカンを喰らってしまい、急速な、矢沢離れを起こしてしまいます。

ソロで初めて行ったツアー、九州・長崎県の佐世保のコンサートでは、2千人近いキャパの会場で、入ったのは、前2列。200人前後のお客さんを前にして、矢沢さんはこう言いました。「正直オレは悔しいよ。でも今日は来てくれた人達は、幸せ者だ!なぜなら、俺は素晴らしい歌を歌うからさ」

そして、いつか名曲だと絶対に認めさせてやると、心に誓いながら、「アイ・ラヴ・ユー、OK」を熱唱したのでした。

キャロルと同じ事をしたのでは、解散した意味がない!矢沢さんはひるまずに次々に新しい事に挑戦し、解散から、ちょうど1年後、キャロルの最後のコンサートを行った日比谷野音を、満杯にし、凱旋コンサートを行ったのでした。

【カバー】

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