五輪真弓「恋人よ」恩師の葬儀に参列し悲しみに暮れる奥様の気持ちに立って歌詞を

「恋人よ」五輪真弓 1980年8月21日リリース

恩師の葬儀に参列し悲しみに暮れる奥様の姿を目にし作り上げた曲!

五輪真弓さんの代表曲でありながら、ブルースの女王、淡谷のり子さん、昭和歌謡の女王、美空ひばりさんにもカバーされ、持ち歌として愛された「恋人よ」。実は、この歌は、ある悲しい別れから生まれた作品だったのです。

五輪真弓さんのデビューの時から手がけてきたプロデューサーの木田高介さん。かぐや姫の「神田川」、りりィの「私は泣いています」など、数々のヒット曲の編曲を手がけてきた、名プロデューサーです。

五輪真弓さんの担当となると、ファーストアルバムの録音を、アメリカのロサンジェルスで、行う事にしました。その際に、五輪真弓さんのデモテープを、アメリカで人気の女性シンガーキャロル・キングに聞かせ、感激した彼女をレコーディングに参加させる事に成功。以後、五輪真弓さんは和製キャロル・キングとも呼ばれるようになり、女性シンガーソングライターの先駆けとして、評価されるようになりました。

しかし、ある日突然、悲しい知らせが飛び込んで来ました。プロデューサーの木田高介さんが、交通事故でお亡くなりになってしまったのです。

五輪真弓さんは、ショックで放心状態になり、曲を書けなくなってしまいました。

しかし、ここまで育ててくれた木田さんの為にも、前に進まなければいけない。そう思って書いたのが、この別れの曲です。

木田さんの葬儀に参列した時に、悲しみに暮れる奥様の姿を目にし、奥様の気持ちに立って歌詞を書きました。

昨日までいた人が、突然いなくなってしまうというこの現実。「冗談だよと笑ってほしい」という歌詞は、呆然としながらも、心の底からわき上がって来た、本当の気持ちでした。

五輪真弓さんは、この年「恋人よ」で紅白歌合戦に初出場を果たしました。当初は、B面「ジョーカー」の方をA面にする予定だったのですが、レコーディングしてみたら、こちらの方が歌の力は圧倒的に強いという事で、「恋人よ」をA面にしてリリースする事になったのだそうです。

【カバー】

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