「First Love」宇多田ヒカル 1999年4月28日リリース
母親は歌手の藤圭子さん、父親は音楽プロデューサーの宇多田照實さん。小さい頃から親が楽曲を作ったり、レコーディングしたりするのを間近で見て育ちました。12歳の時に、親の勧めで英語で作詞作曲を始め、14歳の頃、東京のスタジオで日本のプロデューサーに日本語で歌詞を書くことを提案されて、楽曲を作り始めました。最初に出来たのがアルバムにも収録された「Never Let Go」です。
宇多田ヒカルさんの曲作りは、基本「コード→メロディー→歌詞」という流れです。パソコンでいろいろな音源やループ出したりして遊んでいるうちにその音やリズムから曲のイメージが出来たり、リフやメロデイが浮かんだりするそうです。
作詞は必ず最後。メロディーとかコードとかが完成してからじゃないと歌詞はかけないのですが、言葉数だけは先に決まっているのだとか。ポエムのようにフリーに歌詞を書くのでは無く、俳句や川柳に五七五のルールがあるように、このフレーズは何語でというのが決まっていて、そこに当てはまる言葉を探していくのだそうです。
「First Love」がリリースされたのは15歳の時。日本語で「初恋」を歌う歌は未熟な恋を歌う事が多いのですが、「First Love」は大人の恋をして失恋する曲。15歳でこんな大人っぽい曲が書けるのかと「宇多田ヒカル、ゴーストライター疑惑」が出てしまうほどでした。
しかし当時は日本とアメリカを行き来する生活で、歌詞のやりとりは手書きの歌詞をFAXでレコード会社に送っていた為に、自筆の歌詞が残っています。初期の歌詞は友人などに「これ、あいつの事だよな」とからかわれて恥ずかしかったと言っているので、実体験も含まれると推測されますが、アメリカは精神的な独り立ちも早く求められるので、日本人の「初恋」の尺度でみると、大人びてみえるのでしょう。
こうして15歳が作った「First Love」は大人の共感も呼び、この曲が収録されたアルバムは、累計800万枚を超える大ヒットに。ちなみにこの年の高額納税者番付・歌手部門で、B’zの松本孝弘さんを抑えて1位に輝く事に。納税額は納税額約2億6500万円でした。
【カバー】