「雨あがりの夜空に」RCサクセション 1980年1月21日リリース
グループの初期はパーカッションで三浦友和が参加していた
時代は、フォークからロックへの転換期でした。フォークグループとして出発したRCサクセションもバンド編成の転換期を迎えます。フォークグループ、古井戸を解散した仲井戸麗市さんを、ギタリストに迎え、ロックバンドとして、本格的に活動する事になりました。
ロックバンドとして活動するからには、ライブの最後に盛り上がる曲が必要だと、家に集まって楽曲作り。仲井戸麗市さんがギターのリフを弾き、清志郎さんが、それに合わせて歌うというスタイルで、作っていきました。
当時のRCサクセションは、まだ大きなヒット曲もなく、経済的にも恵まれておらず、まだ風呂無しのアパートに住んでいました。上手くいかない事への、もどかしさを感じながら、いつか見返してやるという意味を込めて、曲を作りました。こうして出来たのが「雨上がりの夜空に」
実はこの曲、出来た当時は歌詞が違いました。
最後のリフレインになる
「雨あがりの夜空に、ジンライムのようなお月様」と歌う部分は、
「雨あがりの夜空に吹く風が、早く来いよと俺たちを呼んでる」
と歌っていました。
この歌詞変更は、当時のディレクターがダメ出しをした為の変更でしたが、二人は、これを受け入れた事を後悔していて、のちにライブでは、元々のバージョンで歌うようになりました。
この曲をリリースすると、RCサクセションの人気に火がつき、渋谷のライブハウス「屋根裏」で、4日連続のコンサートを開催。「屋根裏」の動員記録も塗り替えました。その勢いのまま、初の武道館単独公演も成功させました。
でも、まだ風呂無しのアパート暮らしは続きます。そこから脱出する為に、バンドは精力的にライブを重ねていったのでした。
清志郎さんは、都立日野高校の出身で、同級生には、あの三浦友和さんもいました。RCサクセションが、まだフォークグループだった頃、三浦友和さんも、パーカッションで、参加していた次期もあります。
【カバー】