「世界でいちばん熱い夏」 プリンセス プリンセス 1987年7月16日リリース
2度の改名を経てこのバンド名へ、この曲のヒットは再リリース盤
1983年春、TDK主催の、女性ロックバンドの結成を目的としたオーディションで選ばれた、5人のメンバーは、「赤坂小町」と名付けられ、そして「放課後授業」でデビュー。
ところが、バンドメンバーとして募集がかかったのに、事務所はアイドルとして売り出そうとするので、メンバーは、違和感を感じ、事務所を移籍し、「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名しました。
その後、CBSソニーに見出され「プリンセス・プリンセス」に、再度改名しました。
1987年、プリンセス・プリンセスとしての待望のデビューシングル「恋はバランス」が発売されますが、作曲は外部への発注だった為に、メンバーは、自分達で全部曲を作りたいと、強く要望。
そしてこの年に、セカンドシングル「世界でいちばん熱い夏」をリリース。作詞は、ドラマーの富田京子さん、作曲は、ギター・ボーカルの奥居香さん。やっと、自分達が望む形での、本格的なバンド活動が始まりました。
ところが、この曲が、全くと言っていい程、売れませんでした。
でも、自分達の望む形で活動が出来るようになり、メンバーは精力的に、熱いライブをみせて行きました。すると、徐々にライブでの人気が高まり、1988年、結成当初から目標の一つとしていた渋谷公会堂でのライブを発表すると、チケットは2時間で完売!
そこから、大幅に動員が伸び、ライブハウスからホールへと会場を移行、さらに、1989年には、女性だけのバンドとしては、初となる、単独、武道館公演を成功させる事に。
その勢いにのり、7枚目のシングル「Diamonds」をリリースすると、シングルチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを記録。ついに、プリンセス・プリンセスは、国民的人気のバンドとなりました。
そこで、次のシングルとして、かつてレコードでリリースされたものの、日の目を見ていなかった「世界でいちばん熱い夏」を、CD化する事にしました。
すると、今度は、シングルチャート1位を獲得。世間に知られている「世界でいちばん熱い夏」のヒットは、2度目にリリースされた時のものです。
この年は、さらにコンサートの動員が伸び、8月の熱い夏の日、西武球場での初のスタジアムライブが実現したのでした。
1989年の年間シングルチャートでは、 「Diamonds」の1位に続き、「世界でいちばん熱い夏」が2位に入り、プリンセス・プリンセスが、年間1・2位を独占しました。
【カバー】