「メモリーグラス」堀江淳 1981年4月2日リリース
飲食店でバイト時代に良く聞いていた言葉から曲が!
堀江産の父親は映画館の支配人をしていて、家は映画館の隣りにありました。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のような環境で暮らしていたため、毎日のように映画館にもぐりこみ、映画を観ていました。そこで好きになったのが、加山雄三さんの「若大将シリーズ」。映画きっかけで、歌が好きになりました。
ギターをはじめたのは、中学生の時。最初は、加山雄三さんや、当時流行っていたフォークソングをカバーしていたのですが、そのうちに自分で、作詞作曲するように。
高校卒業後、本格的に音楽活動をはじめ、札幌のライブハウスを中心に活動。そんな時に、ソニーがアーティストを発掘する「第1回SDオーディション」を、開催する事を知り、応募。ハウンド・ドッグ、村下孝蔵さん、五十嵐浩晃さんと共に合格し、プロの歌手の扉を開く事となりました。
ただし、すぐにデビューとは行きませんでした。この4組の中では、一番遅いデビュー。なかなかデビューの話しが決まらず、お酒を提供する飲食店などで働きながら、曲作りをする日々。そんなある日、交差点で信号待ちをしていると、頭の中にある言葉が、ふっと降りてきました。それは、飲食店で働いている時に、よく聞いていた「水割りをください」という言葉。
そして、すぐに「水割りをください。涙の数だけ」というフレーズとメロディーが出来上がり、曲のストーリーがひらめきました。こうして、この曲でデビューする事に。
当初は、もっとキーの低い曲だったのですが、レコーディングの時、ディレクターから、自分の一番高いキーで歌うように指示されます。それは、中性的だった堀江さんの顔立ちを生かす演出でした。この狙いが当たり、中性的な容姿と声も話題になり、デビューシングルは70万枚の大ヒットを記録したのでした。
この歌の大ヒットで、堀江淳といえば「水割り」というイメージが出来上がりましたが、本人は水割りは苦手で、お酒を飲むとしたら、お湯割りだそうです。自分のブログのタイトルも、「お湯割りをください」となっています。
【カバー】