ピンクレディー「ペッパー警部」当初はフォークデュオでデビューする予定

「ペッパー警部」ピンクレディー 1976年8月25日リリース

当初「白い風船」というフォークデュオで、売り出されようとしていた!

あのピンクレディーは、当初「白い風船」というフォークデュオで、売り出されようとしていた事、皆さんはご存じですか?

オーディション番組「スター誕生」に出演した時、のちに、ミーとケイになる、根本美鶴代さん、増田恵子さんの二人は、2人お揃いのオーバーオールを着て、フォークグループの歌を歌い、審査に望んだからです。

しかし、その路線を壊したのは、ピンクレディーの代表曲を数々書いた、作詞家の阿久悠さんと、作曲家の都倉俊一さんの、コンビでした。

二人は、それ以前に、歌謡界のセオリーを崩して、新たな実験をしながら、それまでには無い、歌手像を作り上げるという挑戦をしていました。そして、「どうにも止まらない」「狙い撃ち」などをヘソ出しで踊って大人のお色気路線で、人気となった山本リンダさんや「個人授業」「学園天国」と、学園シリーズを子供達が歌い、人気となったフィンガー5と、次々にヒットを生み出してきたのです。

そんな大胆な挑戦の経験から、名前は「白い風船」ではなく、「ピンクレディー」にしようと言い出したのは、作曲家の都倉俊一さんでした。お酒のカクテルの名前から、そう命名しました。

阿久悠さんは、そのグループ名から、マンガのような世界を連想しました。そこで、おませな女の子が、警官をからかう、少女マンガのようなペッパー警部という歌詞を書き上げたのです。

振り付けの土居甫さんは、ピンクパンサーのクルーゾー警部がドタバタしながら、犯人を追いかけるシーンをイメージした、コミカルな振り付けを考案。こうして、ピンクレディーは、ペッパー警部でデビューする事に。

ところが、発売当時、若い女の子がミニスカートで腰を振ったり、股を開いたりするので、下品であると批判され、こんな物が売れるハズがないと、言われてしまいました。しかし、ちょっとエッチで、コミカルなダンスに、ちびっ子達が夢中になり、曲は大ヒット!ピンクレディーは一躍スターに上り詰めたのでした。

当時人気だった、ドリフターズの「8時だよ!全員集合!」と同様に、大人がダメ!という物に飛びつくのが、ちびっ子たち。ピンクレディーは、子供人気から火が付き、若者、そして大人達へと、人気が広がっていったのでした。

【カバー】

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