ハイ・ファイ・セット「卒業写真」ユーミンの知名度を上げる為に先に提供。その後ユーミンがセルフカバー

「卒業写真」ハイ・ファイ・セット 1975年2月5日リリース

ユーミンの知名度を上げる為にカバーが企画された曲!

「翼をください」のヒット曲で知られた、フォークグループ「赤い鳥」は、1974年に、方向性の違いから、分裂してしまいます。赤い鳥のフォーク路線を引き継いで作られたのが「紙風船」。

真逆で、タキシードにドレスなどの衣裳に身を包み、コーラスワークで勝負に出たのが山本潤子さん、山本俊彦さん、大川茂さんの3人で組んだ「ハイ・ファイ・セット」です。

Hi-Fi(ハイファイ)とは、音響機器などで使われる用語でノイズやひずみが無く「原音に忠実に再現」という意味を持ちます。グループの名付け親は、細野晴臣さんでした。

コンセプトが決まり、デビュー曲を決めようとなった時、「赤い鳥」時代からのプロデューサーでもあった、村井邦彦さんから、この曲はどうだ?と、曲が持ち込まれました。それは、荒井由実さんが作った「卒業写真」。

実は、「卒業写真」は、ハイ・ファイ・セットに提供されたのが先で、その後、ユーミンがセルフカバーで、アルバム「COBALT HOUR」に収録。

ユーミンは、この時は、音楽業界では知られた存在でしたが、一般的には、今ほどの知名度は無く、色々と模索している最中。

ユーミンの曲作りの才能を買っていた村井邦彦さんは、両方の間に立ち、注目も高く、実力派のハイ・ファイ・セットのデビュー曲とする事で、両方の評価に繋がると考えたのです。

実際に、2組のアーティストがコラボした事で、ハイ・ファイ・セットは、歌唱力の高さを評価され、ユーミンは、曲作りの素晴らしさを、評価されるようになっていきます。

この「卒業写真」の収録されたファーストアルバムのタイトル、初回リリース分は、「ハイ・ファイ・セット」でしたが、曲のヒットにより、その後「卒業写真」というタイトルに改名されました。

こうして、プロデューサーの見込んだとおり、ハイ・ファイ・セットも、ユーミンも、大きな評価を獲得する事に成功したのでした。

この成功で、ユーミンに曲を書いてほしいという人が現れ、この年、バンバンが頼み込んで作って貰ったのが「いちご白書」をもう一度です。

【カバー】

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