有人からのSOSのメール、その時救えなかった自分を悔い作った曲。「もらい泣き」一青窈


「もらい泣き」一青窈
2002年10月30日リリース

台湾人の父親、そして日本人の母親のもとに生まれた、一青窈さん。幼稚園を卒業してから、日本に移住した為に、台湾で働く父親に、日記代わりのように、頻繁に手紙を書いていました。しかし、彼女が小学2年生の時に、大好きだった父親は病で亡くなってしまいました。

そんな時に、出会ったのが、詩人の宮沢賢治の作品。彼の詩に影響され、手紙の代わりに、自分の気持ちを、詩として書くようになったのです。

慶応大学に進学した、一青窈さんは、アカペラのサークルに入部。そこで先輩に声をかけられました。「おまえの詩、面白いから、曲をつけてやるよ。それを歌ったら?」

そう言ってくれたのは、現在、ゴスペラーズのメンバーとして活躍する北山陽一さんでした。こうして、オリジナルで曲を作ったり、歌を歌うようになった一青窈さんは、レコード会社の目にとまり、デビューの話が舞い込んだのです。

ある日、旅行から帰った一青窈さんが、たまったメールをチェックしていると一通のメールが目にとまりました。「段ボールの中から出られないんだ」という、たった一行のメール。それは、友人からのSOSのメールでした。

その昔、自分が失恋した時に、隣で、ただひたすら一緒に泣いてくれた友人。その友人に、辛いことがあり、家から出られず引き籠もり、もがいている時に、自分は旅行に行って、楽しい思いをし、助けてあげられなかったんだ…。そう思ったら、涙が止まらなくなりました。

自分の為に、もらい泣きしてくれた友人。そして、今度はその友人の事を思って、泣いてしまった自分。せつない気持ちを、詩として書き止めました。その二つの涙が交差して、この曲が誕生したのでした。

かつて、この曲の再生速度を下げると、平井堅さんが歌っているように聞こえると話題になりました。専門家によると、ファルセットや息継ぎのタイミングが二人は非常に似ているからで、ここまで似ているのは非常に珍しいそうです。

【カバー】

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