最初は「御堂筋」を「みとうすち」としか歌えなかった!「雨の御堂筋」欧陽菲菲


「雨の御堂筋」欧陽菲菲 
1971年6月5日リリース

欧陽菲菲さんは、1967年に台湾の台北市にあるレストラン・シアターで、歌手デビュー。その後、日本のプロダクションから、日本での歌手活動が打診されましたが、台湾での人気を捨てて、日本に行く事に周囲は大反対。しかし、熱心なスカウトと勧誘もあり、とりあえずレコーディングだけというつもりで来日し、デビュー曲、「雨の御堂筋」の録音に取りかかりました。

この曲、作曲は、あのベンチャーズ。来日し、エレキ旋風を巻き起こしたベンチャーズですが、アメリカ本国より、日本の方が人気が高かった為に、日本を意識した曲作りを行うようになっていました。その日本的なメロディーに日本語の歌詞を乗せたのが、渚ゆう子さんの、「京都の恋」や「京都慕情」。これらのヒットもあり、「ベンチャーズ歌謡」という言葉が生まれるのですが、「雨の御堂筋」も、その一曲です。

当時、外国人の歌手が歌う歌謡曲というと、カタコトの日本語というのが定番だったのですが、欧陽菲菲さんは、日本人歌手と遜色のない、ダイナミックな歌声を披露し、人々を驚かせました。ただ、中国系の人は、どうしても日本語の「ダ行」などの濁音が苦手で、来日したての、初期にレコーディングしたバージョンでは、「御堂筋」が「みとうすち」になったり、「歩道」が「ほとう」になったまま、録音されています。

アメリカ人が作曲した曲に、日本人が詞をつけて、台湾から来日した歌姫が歌い上げるという、ちょっと変わった日本歌謡ですが、チャート1位に9週ランクインし、79.万枚を売り上げる大ヒットに。このヒットのおかげで、外国人アーティストとしては初の、紅白歌合戦の出場をかちとっています。

欧陽菲菲さんがヒットを飛ばすと、芸能界はチャイニーズ・ブームとなり、台湾や香港から女性歌手が次々と来日。テレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランなどが来日し、デビューを果たしました。ちなみにこの曲、ベンチャーズ自身も「Stranger in Midosuji」のタイトルで録音を残しています。

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