「そして僕は途方に暮れる」を封印後、原点に戻るためにカバーした曲!「1/2の神話」大沢誉志幸


「1/2の神話」大沢誉志幸
1994年7月21日リリース

1984年、「そして僕は途方に暮れる」の大ヒットで、一躍、時の人となった大沢誉志幸さん。しかし、このヒット曲が、大沢さんを次第に追い詰めていく事となります。

この曲に似た、淡々とした曲の依頼ばかりが、相次ぐようになったのです。自分の中には、いろんな方向性の曲がある。いくら説明しても、言われるのは「『そして僕は途方に暮れる』のような作品で」

そもそも、この曲は大沢さんの曲の中でも、異端の曲でした。

それまで、人に提供していた曲は、どれもロック色の強い作品で、このような淡々としたバラードは、大沢作品としては珍しく、そのため、他のアーティストに提供しても、ボツとなって返され、お蔵入りしていた曲なのです。

その大沢カラーの一番薄かった曲を、求められ続ける事で、徐々に、自由に創作する事が出来なくなって、自分の作るべき音楽の、方向性を見失っていきました。

これは、ヒットメーカー共通の悩みです。かつてこのコーナーで紹介した、NOKKOさんがFriendsを封印し、米米CLUBが「君がいるだけで」歌うのを拒んだように、大沢誉志幸さんも、「そして僕は途方に暮れる」を歌う事を止める事にしました。

のちに大沢さんは、冗談めかして、こんな事を言っています。「人にあげた曲で一番後悔しているのは、吉川晃司くんに提供したラ・ヴィアンローズ。あの曲を自分で歌ってヒットさせていれば、もっと違う自分のイメージがあったはず」

大沢さんは、原点に戻るために、自分がデビュー前に自由に作り、人に提供してヒットさせていた頃の曲を、セルフカバーしたアルバムを作る事にしました。

「ラ・ヴィアンローズ」や「ガラス越しに消えた夏」「おまえにチェックイン」などを、セルフカバーしたアルバム「Collage」をリリース。
そこからシングルカットされたのが、中森明菜さんに提供した、この曲のカバーでした。

大沢さんは、この曲から5年後、1999年に突然、歌手活動を休止。歌う事を封印して、プロデュース業にまわる事にしました。そして、時がたち「そして僕は途方に暮れる」の呪縛から解放された2002年に、アーティスト活動を再開させました。

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