大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」3度ボツになり自分で歌ってヒット

「そして僕は途方に暮れる」大沢誉志幸 1984年9月21日リリース

他のアーティストに3度提供するもボツになり、自分で歌ってヒットさせた曲!

大学の音楽仲間と「クラウディ・スカイ」というバンドを作り、念願のプロデビューをするも、わずか8ヵ月で解散。音楽活動を続けたかった大沢誉志幸さんは、バンドを失った喪失感を埋める為に、曲を作ることに専念。そして、歌手やアイドルへの楽曲提供を始めます。

沢田研二さんの「お前にチェックイン」、中森明菜さんの「1/2の神話」、山下久美子さんの「こっちをお向きよソフィア」など、提供した曲は、次々にヒットを飛ばしました。でも、本来やりたいのは自分で歌う事。

そんな時、ヒットメーカーという看板がついた事で、ソロデビューの話がもちあがります。「デビュー前に100万枚を売った男」と呼ばれ、1983年、「彼女には判らない」で念願のソロデビューを果たしました。

ところが、人への提供曲はヒットするのに、自分の曲は売れませんでした。自分の曲は、どこかで斬新さを求めた事も、一因だったのかもしれません。

さて、人への提供曲を次々にヒットさせてきた大沢誉志幸さんですが、もちろん、中にはボツされ続けた曲もあります。それが「そして僕は途方に暮れる」なのです。

自分のアルバムを作る事になった時に、曲数が足りず、ディレクターに、「誰かに提供してボツになった曲ないの?」と言われて出てきたのが、この曲。

この曲には大沢さんの考えた歌詞バージョンもあったのですが、当時、一緒に音楽作りをしていた、新人作詞家の銀色夏生さんのノートに、この「そして僕は途方に暮れる」という言葉の走り書きがあり、その世界観で、曲を作れないかと依頼し、完成しました。

この曲の印象的なイントロを作ったのは、編曲家の大村雅朗さん。今、洋楽では音数の少ない楽曲が流行していますが、1984年に、その音の引き算でアレンジしたのがこちら!

この曲は、カップヌードルのCMソングともなり、大ヒット。

初めて自分の作った楽曲を、自分で歌ってヒットさせる事が出来、大沢さんは、思わず、ガッツポーズをしたそうです。

実は、この曲にはアンサーソングがあります。恋人との別れを歌ったのが、「そして僕は途方に暮れる」
別れた後の思いを綴っているのが、鈴木雅之さんに提供した「ガラス越しに消えた夏」なのだそうです。

【カバー】

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