「夢見る少女じゃいられない」相川七瀬 1995年11月8日リリース
ガソリンスタンドで働きながら、 ボイトレに通い勝ち取ったデビュー曲
相川七瀬さんのデビューは、織田哲郎さんと出会った事がきっかけでした。
出会いは、アイドルのオーディション。相川さんは、もともと、自分は受けるつもりはありませんでした。友達の付き添いだったハズが、受ける事になっていた友人が急に来れなくなりその場にいた相川さんが、責任を感じて、代わりに歌う事に。なので、あまりやる気もなく、しかめっ面で、仕方なく歌っていました。当然、オーディションは落選。でも、審査員席にいた織田哲郎さんには、その尖った感じが、強烈な印象として残ったそうです。
それから半年後、これまでと違う、ちょっと尖ったロックがやりたいと思った織田さんは、彼女の事を思い出します。そして自ら連絡を取り、大阪まで会いに行きました。でも、彼女に返事はNO。歌手になる気はないとの事。そこで、織田さんは、「じゃあ、やってみたくなったら連絡して」と、連絡先を渡して、帰ってきました。
相川さんから連絡が来たのは、数ヶ月後。「学校を中退して、やる事がないので、音楽をやってみたい」でも、やりたいと言ってから、すぐに夢がかなった訳ではありません。準備期間の2年間は、ガソリンスタンドで働きながら、ボイストレーニングに通って、徹底的に歌を学びました。さらに、毎日のように作詞するという宿題を出され、作詞した紙の束を、織田さんに送り続けました。
そんな2年間のトレーニングを受けて、18の時に上京。当時、前向きで「夢を見れば叶う」といった感じの曲が世の中にあふれ過ぎていて、違和感があったという織田さんが用意したのが、「夢見る少女じゃいられない」
作詞、作曲、アレンジ、全ての楽器の演奏、ジャケット、衣装に至るまで全て織田さんが一人でプロデュースしました。しかし、まわりは大反対!ジャケットの顔が暗い、女性ボーカルなのに爽やかじゃない、歌詞が陰気、絶対に売れないとまで言われました。
でも、蓋を開けてみれば、40万枚以上のヒット!これまでの常識を全て覆した事がインパクトとなり、新たなスタイルのアーティスト、相川七瀬が誕生したのでした。
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【カバー】