岡村孝子「夢をあきらめないで」本当は応援ソングではなく、失恋ソングだった


「夢をあきらめないで」岡村孝子 1987年2月4日リリース

本当は応援ソングではなく、失恋ソングだった

女子大で同級生の加藤晴子さんと出会い、「あみん」を結成。82年に新人の登竜門と呼ばれた「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場を果たした二人は「待つわ」でグランプリを受賞し、メジャーデビュー。

デビュー曲がいきなりのミリオンセラーとなり、歌番組に大忙しの売れっ子に。しかしそれで、あくまでも学業優先の加藤さんが音楽をやめて大学に戻ることを決意。あみんはデビューからわずか一年半で事実上の解散に。

この曲は応援ソングとして認識されていますが、実は失恋の曲です。

岡村さんのテーマはずっと「切ないラブソング」で、色々な角度から失恋を描いて来ました。この曲も自分の元を去る男性を見送る歌。嫌いになれないから、暖かく見守る言葉が並んでいます。

岡村さんは元々安易な励ましが苦手で、最後に頑張るのは自分だから「頑張れ」という言葉は使わないようにして来ました。なので、この歌でも「あなたらしく輝いて」という風に、相手に委ねています。

新たな失恋ソングというつもりで世に送り出したのですが、『熱闘甲子園』のテーマソングに使われた事から、球児を応援する歌と捉えられ、高校球児の好きな曲アンケートでも1位に輝きます。

「応援歌」として捉えられることは、自分の意図とは違う方向へ一人歩きした感じがしていましたが、時を経て、それを受け入れられるようになっていきます。

1997年、当時読売ジャイアンツの野球選手だった石井浩郎さんと結婚し、女の子を授かりました。

すると母の視点が生まれました。切ないラブソングが女性の心に刺さり、OLの教祖と言われていた岡村孝子さん。コンサートには女性客が多いのですが、育児などで同じような世代のファンが急に来られなくなったり、戻って来たりという現象をステージから目撃します。すると同じ母親として、一緒に前を向けたらという気持ちでこの歌を歌うように。

2011年、アルバムのレコイーディングをはじめる直前に東日本大震災が起こりました。こんな時に音楽を作っていいんだろうかと悩んだのですが、音楽で自分の思ったことを伝えることしかできないと気づいて、レコーディングに。

「日本の元気を歌で伝えよう」をテーマに作ったアルバム「勇気」には、セルフリメイクされた「夢をあきらめないで2011」が収録されています。

2019年4月、岡村さんは急性白血病と診断されたことを発表し、療養に入りました。闘病後、2021年の音楽特番「THE MUSIC DAY 音楽は止まらない」で、白血病から復帰後初のステージに立ち、代表曲「夢をあきらめないで」を披露しました。

現在でも多くの人々の「応援歌」として人気があるこの曲。現在でもこの曲を愛してくれていることは凄く嬉しいですと、岡村さんも語っています。

【カバー】

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