「1ダースの言い訳」稲垣潤一 1986年2月21日リリース
他のアーティストに送るはずの歌詞を秋元康が間違って送った事から生まれた
今では売れっ子作詞家の秋元康さん、最初のヒット曲となったのが、稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」でした。これ以降、稲垣潤一さんは、秋元康さんと良い関係を築き、数々の作品を生み出していきます。
そして、新しいアルバムを作る事になった時、再び、秋元さんに作詞をお願いする事にしました。この頃の秋元さんは、おニャン子クラブを手がけて、ヒット曲を生み出し、数々のアーティストの作詞も担当する、売れっ子作詞家になっていました。
そんな秋元さんにお願いした歌詞が、FAXでスタジオに送られてきたのですが、メロディーに合わせてみようとすると、字余りになったり、文字数がメロディーと合わず、これはおかしいぞという事に。
そこで、秋元にさんに問い合わせてみると、多忙を極めていた為に、他のアーティストに送るはずの歌詞を、間違って稲垣さんに送った事がわかったのです。
しかし、受け取った歌詞の世界観が非常に気に入っていたので、なんとかこの歌詞を譲ってもらえないかと、お願いしました。
自分が送り間違えた事もあり、OKを出した秋元さん。しかし、メロディーと歌詞の文字数が合わなかったので、稲垣さんは、世界観そのままで、メロディーに合うように、歌詞を修正してもらう事にしたのです。
こうして完成したのが、「1ダースの言い訳」
当初は、アルバムに収録される一曲という予定だったのですが、完成してみると、他の収録曲よりも、シングル向きではないかという事になりアルバムからの先行シングルとして、リリースされる事になりました。稲垣潤一さん、記念すべき10枚目のシングルとして。
こうして発売された曲は、多くの共感を呼び、三洋のミニコンポのCMソングにもなり、広くお茶の間に流れる事になったのでした。