一発屋イメージを防ぐ為、代名詞だったユーロビートを捨てた曲!「六本木純情派」荻野目洋子


「六本木純情派」荻野目洋子
1986年10月29日リリース

ももクロ、モーニング娘などの、踊って歌えるアイドルというジャンルを切り開いたのは、荻野目洋子さんです。

当時は、松田聖子さん、中森明菜さん、小泉今日子さんなどが活躍し、おニャン子クラブが「セーラー服を脱がさないで」ブレイクした女性アイドル戦国時代。可愛くて歌の上手いアイドルは、沢山いました。そこで差別化の為に選んだのがダンスだったのです。可愛い振り付けのアイドルは多かったのですが、本格的にダンスするアイドルはまだいなかったので、注目を集めました。

「ダンシング・ヒーロー」でブレイクすると、「とんねるず」やモノマネタレントが、荻野目洋子さんのダンスをマネし、「荻野目ちゃん」=「ダンス」というイメージが定着します。

それは、それで成功だったのですが、反面、一つ心配な事がありました。それまで「ダンシング・ヒーロー」しかヒット曲が無かった為に、次のヒット曲を出さないと、荻野目洋子=ダンシング・ヒーローの、イメージで固定されてしまうという事。「フラミンゴ in パラダイス」「Dance Beatは夜明けまで」と、立て続けにシングルを出すも、全作のイメージを変える事は出来ませんでした。

そこで、当時のスタッフは、賭に出る事にしました。荻野目さんの代名詞でもあったユーロビートをやめて、全く逆のラテンの要素を取り入れたナンバーで勝負に出る事にしたのです。当時、海外ではマイアミサウンドマシーンの「コンガ」のヒットからラテンブームに火がつき始めていた事もありました。

勝負として選んだ、この曲は、狙い通りヒットし、テレビ番組「ザ・ベストテン」では、11週連続でランクインを果たしました。そして、ダンシングヒーローと並ぶ、代表曲を作り上げる事に成功したのです。

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