杏里「思いきりアメリカン 」バックバンドを務めていた小林武史が初めて人に提供した曲!

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「思いきりアメリカン 」杏里 1982年4月21日リリース

実は小林武史が初めて人に提供した曲!

この曲は、杏里さん、通算10枚目のシングル。でも、いろんな「はじめて」が詰め込まれた曲でもあります。

「オリビアを聴きながら」でデビューした杏里さんですが、当初は会社の方針などもあり、モデル経験を生かしたアイドルに近い、可愛らしい路線で売り出されます。ところが、1878年にデビューしてから、ほぼ4年なかなかヒット曲には恵まれませんでした。何枚かのシングルは、チャートにも入らず、ランク外という扱いに。シングルやアルバムをリリースする中で、葛藤が生まれ、自分自身で曲を作り、歌いたいという想いが、ハッキリと見え始めたのがこの頃です。

花王のコロン「リマーラ」のCMソングに彼女の歌が起用されることになり、作詞家の、竜真知子さんと共作で、その曲の歌詞の一部を作詞することになったのです。杏里さんにとって、はじめて作詞した曲、それがこの「思いきりアメリカン」なのです。

杏里さん自身も、洋楽などを通じ、アメリカ文化へのあこがれを持っていましたが、当時は、2年後にロサンゼルス・オリンピックを控えていた頃。ファッション誌でも、サーファーやハンバーガーなど、さかんにアメリカ文化が特集されていて、アメリカ西海岸に対し、大きな憧れが生まれていました。

この歌詞に出てくるサンタモニカは、ロサンゼルスの西に位置するビーチリゾートの名前。恋人との別れの後の、気持ちの切り替えが、カラッと乾いた西海岸の爽やかな風のように、描かれています。そのイメージが定着し、杏里さんも、アイドル路線から、海、サーファーというイメージへの転機ともなった曲です。

そして、この曲には、もう一つの大きな「はじめて」が隠されています。

作曲は、当時、杏里さんのバックバンドを務めていた人で、その人が、初めて人に提供した楽曲。その人の名前は、小林武史。

それまでは、バックバンドとしてキーボードを担当していたのですが、この曲の成功から、作詞作曲のオーダーが舞い込むようになり、その後、アレンジャーとして、桑田佳祐さんのソロシングルを手がけたり、Mr.Childrenをプロデュースする事に。

「思いきりアメリカン」杏里さんが、初めて作曲にチャレンジし、小林武史さんが初めて作曲。この二つの初めてが出会い、二人の運命を大きく変えた、一曲なのです。

ちなみ、小林武史さんが、初めて桑田佳祐さんの曲をアレンジしたのが、「悲しい気持ち」です。

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