「卒業」尾崎豊 1985年1月21日リリース
1984年 3月15日、青山学院高の卒業式が行われていましたが、その中に尾崎豊さんの姿はありませんでした。その直前に、高校を中退していたからです。
学校で問題を起こして、無期停学処分になったのですが、この時に、ファーストアルバムのレコーディングを始めました。そしてシングル「15の夜」ファーストアルバム「十七歳の地図」でデビュー。
停学の解けた青山学院高等学校へ戻ると、教師から、毎日反省日記を書くよう命じられ、教師の言うとおりにしろと迫られました。教師の言う事を聞いて、操り人形となり、普通に学校を卒業してしまったのでは、自分の中で抱えているモヤモヤが何も解決しない。そこで学校を中退したうえで、自分なりの卒業式を行う事にしましたのです。
それは卒業式の当日に、新宿のルイードでデビューライブを行うという物。ファーストアルバムは音楽関係者の間で話題になっていて、そこから尾崎が凄いという噂が広まりました。デビューライブを観たいという人達が押し寄せ、定員の2倍の人達が。狭いライブハウスのステージを走り回り、シャウトする姿に、詰めかけたファンは衝撃を覚えたのです。
このデビューライブの模様はのちに「OZAKI・18」としてVHSでリリーされ、2006年にはDVDで再リリースされています。
ステージではファーストアルバムの楽曲を中心に演奏され、この時はまだ「卒業」は歌われていませんでしたが、ライブの映像には、卒業式を終えて応援に駆けつけた同級生の姿も映っていて「尾崎がんばれよ」の声援も飛んでいます。
そこからは、精力的にライブ活動をはじめ、全国6ヵ所を回るライブハウスツアーをスタート。さらに8月に、東京・日比谷野外音楽堂で行われた反核ライブイベントで、照明用機材の上から飛び降りて足を骨折。
より激しくなる尾崎のステージとエピソードで、束縛に抵抗した生きざまが共感され、反逆を旗印に若者のカリスマに。
こうした経緯を経て、翌年、高校からの中退の経験を元にした4枚目のシングル「卒業」がリリースされたのでした。
その後、この「卒業」は、高校の倫理の教科書で教材として扱われるように。何故、尾崎豊が怒っていたかを問うものでしたが、「周りに迷惑をかけるのは間違い」など若者の共感を得られなくなっていきました。
テストでは、歌詞からこんな問題がだされた事も。「仕組まれた自由」の意味を説明しなさい。