井上陽水へ挑戦する為に、あえてシンプルな言葉を選んだ!「悲しみにさよなら」安全地帯


「悲しみにさよなら」安全地帯
1985年6月25日リリース

井上陽水さんの作詞による「ワインレッドの心」のヒットで、人気アーティストの仲間入りを果たした安全地帯。その後も「真夜中すぎの恋」「恋の予感」と、陽水作詞三部作でヒットを連発。1985年の2月には、武道館での2日間のライブも成功させ、その人気を不動の物としていきました。

その一方で、安全地帯は、新人作詞家の育成にも力を入れ始めていました。2枚目のアルバム「安全地帯Ⅱ」では、陽水さんの作詞は2曲、残りの8曲は、まだ作詞家としては駆け出しだった、松井五郎さんに依頼。

松井さんが書く言葉の感性に惚れたスタッフが、玉置さんに紹介し、同世代でタッグを組んで、いい曲を作ろうと意気投合。しかし、松井さんの歌詞は、シングル曲には、なかなか採用されませんでした。

松井さんは、当時を振り返り、こう語っています。高校出の新人ピッチャーが、メジャーリーガー級の陽水さんと直接対決するようなもので、勝負になりませんでした。そこで、陽水さんの歌詞を徹底的に研究したのです。

そして、気づいた事がありました。それは、陽水さんの使う言葉はシンプルだという事。

玉置浩二さんの作るメロディーは、シンプルな物が多いのに、自分はそこに言葉を詰め込み、情景を説明しすぎていた事に気づきました。陽水さんのように、シンプルに書いた方が、一つ一つの言葉の説得力が増す。

そんな時に、玉置さんから、新たなメロディーが届きました。そこで松井五郎さんは、極力シンプルな言葉をえらび、歌詞を書く事にします。文字だけでは、物足りなく見えるかも知れないけれど、玉置さんの歌の力が加われば、説得力は増すはず。

こうして、1985年6月にリリースされた、安全地帯の9枚目のシングル「悲しみにさよなら」は、セールスチャート1位を獲得。

玉置浩二さんは、自分の本の中で、この曲について、こう振り返っています。「二人のクリエーターの出会いが、J-POPの名曲を産み落とした瞬間でした。」

この後、安全地帯の曲の歌詞の大半を、松井五郎さんが手がける事となり、安全地帯6人目のメンバーとも言われるように。

【カバー】

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