「ワインレッドの心」安全地帯 1983年11月25日リリース
井上陽水の楽曲提供を断り、引きこもって絞り出したメロディー!
北海道の、旭川市で結成された安全地帯。1973年に、ヤマハのポピュラーソングコンテストの北海道地区大会に出場し、優秀賞を獲得。
そこで彼らは、旭川の郊外にあった倉庫を、バンド専用のスタジオに改造して合宿生活をスタート。デモテープを作るかたわらで、積極的に定期ライブも開催。すると、じわじわと「安全地帯」という名前が、北海道に広がって行きました。
そんな彼らの噂を聞きつけて、旭川に駆けつけたのは、井上陽水さんを担当していた、レコード会社のディレクターでした。なんと、陽水さん本人も一緒に連れて来て、彼らとセッションさせると、その場で、陽水さんのツアーのバックバンドに決めたのです。
陽水さんと一緒に活動させる事で、音楽性を引き上げる事が狙いでしたが、彼らは、プロとアマチュアの演奏レベルの差に驚き、逆に自信を無くしてしまいます。しかし、ディレクターは「これはチャンスだ」と言い聞かせて、猛特訓。
こうして、陽水さんのバックバンドを続けるうちに、「安全地帯」の名が、音楽関係者の間に広まって行いきました。
バックバンドで名前を売りながら、1982年2月に、満を持して1stシングル「萌黄色のスナップ」をリリース。しかし、レコードの売上げは伸びませんでした。
4枚目のシングルを出す事になった時、ディレクターは打開策として、ある提案をします。それは、井上陽水さんに作曲を依頼すること。
しかし玉置浩二さんは、自分で作曲したいと、それを断り、一週間部屋にこもっ、曲作りを行いました。こうして出来たのが、「ワインレッドの心」のメロディーです。
このメロディーを聴かされた井上陽水さんは、今度は自分が部屋にこもり、言葉を選び、このメロディーにピッタリの歌詞を完成させました。こうして発表された「ワインレッドの心は」リリース後、じわじわと売上げを伸ばし、4ヶ月後に、ついに1位に。陽水さんに背中を押され、ついに独り立ちする事が出来たのでした。
この曲は、赤玉ポートワインのCMにも起用されて、テレビから流れた事もあり、71万枚のヒットを記録しています。
【カバー】