「CAT’S EYE」杏里1983年8月5日リリース
アニソンを歌うことに抵抗感があり、最初は断ろうと思っていた!
1978年に「オリビアを聴きながら」を17歳で歌い、小林武史提供の「思いきりアメリカン」など、スマッシュヒット飛ばしなら、角松敏生を迎え、AORサウンド、シティーポップの道を歩みはじめていた杏里さん。アルバム曲などでは作詞作曲を自ら手掛け、シンガーソングライターとしての実力を固めつつある時でした。
そんなタイミングで届いた「CAT’S EYE」のオファー。当時のアニソンというと「うる星やつら」や「Dr.スランプ アラレちゃん」などの主題歌というイメージ。ゴダイゴの「銀河鉄道999」などアーティストが歌う事もありましたがまれで、多くはアニソンを得意とする歌手が担当していました。
シティーポップのアーティストの自分と、アニソンとのギャップに悩み、断ろうと思っていました。しかし、これまでのアニソンとは違うという事で、楽曲を聴くと良いメロディなので、挑戦してみる事に。
彼女の13枚目のシングルとしてリリースされると、オリコン・シングルチャートで1位に輝き、5週連続して1位に。
すると今度はアニメファンの方が違和感を持ち始めました。
当時は、アニメとアーティストがタイアップという形式もなく、アニソンはアニメの曲として聴くのが一般的だった時代。アニソンが、アニメと切り離されて、杏里の曲として一般の人に愛されている事で、アニメはただの宣伝に使われているのではないかという風に感じた人も多かったのです。
さらに、ヒットした事で困った事も起こりました。当時レコーディングされていた6枚目のアルバム「Timely!!」。こちらにこの大ヒット曲を入れない訳にはいかないのですが、他の曲がAORサウントのシティーポップで、この曲だけ浮いてバランスが崩れてしまいます。
そこでアルバムには角松敏生アレンジで、「CAT’S EYE (NEW TAKE) 」が収録されました。シンセやシンセドラムを抜いて、FUNK調にアレンジ。アニメファンで「CAT’S EYE」を聞きたさにこのアルバムを買った人は、あまりのアレンジの違いに戸惑いを隠せませんでした。
アニソンのファンと、シティーポップのファンの両方が戸惑ったこの曲ですが、アーティストがアニソンをヒットさせるというとっかかり、モデルケースとなり、その後の岩崎良美さんの「タッチ」などに繋がっています。
アーティストが自分達の世界観を崩さないアレンジでアニソンを歌うという今にたどり着くまでは、紆余曲折ありました。それに大きく貢献した曲です。
【シングル】
【アルバムVer.】
【カバー】