アン・ルイス「恋のブギ・ウギ・トレイン」 まだ無名の山下達郎が手がけた

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「恋のブギ・ウギ・トレイン」 アン・ルイス 1979年12月25日リリース

まだ無名の山下達郎が手がけた名盤アルバムからシングルカット!

アメリカ人と日本人のハーフという美貌を生かし、当初はグラビアモデルとして活躍していた、アン・ルイスさん。そんな中、歌の才能を認められ、1971年に「白い週末」でデビュー。当時全盛だった、アイドル歌謡のジャンルで勝負する事になります。

そして、1974年、「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒット。アン・ルイスという名前は、全国区となりました。

しかし、毎年、次々にデビューして来るアイドル達。そんな中で、オンリーワンの輝きを見せないと、すぐに埋もれてしまいます。事務所の先輩である沢田研二さんを参考にしながら、可愛いからカッコイイに方向転換しました。脱アイドルを目指したのです。

そして、楽曲も、様々なアーティスト達に、依頼するようになります。13枚目のシングル「甘い予感」は、松任谷由実さんの作詞作曲。14枚目の「女はそれを我慢できない」は、ワイルドワンズ出身で、沢田研二さんのプロデューサーをしていた、加瀬邦彦さんの作品。こうして、徐々にアーティスト色を強めて行きました。

でも、もっと大きなインパクトが必要。そんな時に、担当ディレクターが出会ったのが、山下達郎さんでした。

当時は、まだ、シュガーベイブ解散後で、ソロシングルはまだ1枚しかリリースしていませんでした。六本木の「ピットイン」というライブハウスで、ライブを観た直後、「コレだ!」と、ひらめいたディレクターは、楽屋を訪れ、アン・ルイスに曲を書いて欲しいと頼み込みました。その話しは、とんとん拍子に進み、アルバム一枚を丸々プロデュースする事に。それが、1979年にリリースされた「ピンク・キャット」

山下達郎プロデュースということで、レコーディングには、達郎さんと縁のあるアーティストが数多く集まりました。ギターは、山下達郎、桑名正博、ベースに細野晴臣、ドラムは、高橋幸宏、キーボードは、坂本龍一。コーラスに、吉田美奈子、そして山下達郎。

このアルバムは、それぞれのアーティストのファンの間でも評判を呼び、今でも名盤として語り継がれています。そのアルバムの中から、満を持してシングルカットしたのが、恋のブギ・ウギ・トレインだったのです。

【カバー】

このシングルをリリースした直後、アルバムに参加していた桑名正博さんと結婚します。そして、その結婚祝いに19枚目のシングルとなる「リンダ」という曲をプレゼントしたのが、当時、山下達郎さんとお付き合いしていた、結婚前の、竹内まりやさんでした。

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