「哀愁トゥナイト」桑名正博 1977年6月5日リリース
筒美京平の手がけた歌謡ロック。ギターは名手・高中正義!
2012年10月26日に、脳幹出血に倒れ、多くのファンや音楽関係者から惜しまれつつ他界した、桑名正博さん。そんな桑名正博さんの一曲にスポットを当ててみたいと思います。
桑名さんは、江戸時代から続く廻船問屋「桑文」の7代目跡取りとして生まれました。家には家政婦さんが2人、両親と妹の4人家族で700坪の豪邸育った、スーパーお坊ちゃまでした。
18歳の時に、日本語でロックがやりたいと、お坊ちゃまの友人達を集めてファニー・カンパニー結成。そして、翌1972年に「スウィートホーム大阪」でデビューします。
当時はまだライブハウスで活動している頃、東のキャロル、西のファニカンと呼ばれ、両者とも人気を集めていました。実際に、矢沢永吉さん率いるキャロルと、対バンをする事も。
ハングリー精神向きだしだったキャロルに対し、めぐまれていたファニカン。いい意味でおおらかな所がありました。当時は、ロックとフォークが対立したり、英語ロックと、日本語ロックのファンが対立したりする、殺気だった時代にどのジャンルとも、友達になれるフレンドリーさがありました。
結成して3年で、バンドは解散、桑名さんは、ソロで活動をする事に。そんな時、日本語ロックの確立を目指していた桑名さんに担当ディレクターが、ある人物を紹介しました。それが、当時ヒットを連発していた、歌謡曲の作曲家、筒美京平さん。
音楽のジャンルに垣根をもっていなかった桑名正博さんは、日本語ロックの構想で意気投合すると、作詞家の松本隆さんも紹介され、歌謡曲側から、ロックへアプローチする事になりました。そして、筒美京平&松本隆コンビとの、第一弾となったのが、「哀愁トゥナイト」。
歌謡曲側から攻めるけど、演奏だけはきっちりしたいと、レコーディングには、当時の有名アーティストを集めました。ドラムは、高橋ユキヒロさん。ベースは、後藤次利さん。そして、この曲では、ギターを弾きまくっているのは誰だ?と、音楽ファンの間でも話題になったのですが、ギターを担当したのは、トップギタリストの、高中正義さんでした。
当時は、日本語とロックの融合が確立しておらず、みんな試行錯誤。歌謡曲サイドから攻めたのが、桑名正博さんであり、英語と日本語を交えながら攻めたのが、矢沢永吉さん率いるキャロルでした。
【カバー】