久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」ナオミ・キャンベルがコーラス

「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田利伸 1996年5月13日リリース

同じマンションに住んでいたスーパーモデルのナオミ・キャンベルにコーラスを頼んだ!

5枚目のシングル「You were mine」のヒットで、一躍、時の人となった久保田利伸さん。すると、これまで日の目を観ずにいた、過去の作品にも注目が集まりました。そこで、これまでのシングルを集めたベストアルバムを作る事に。

その楽曲達をリミックスする為に、アメリカに渡るのですが、久保田さんが選んだのは、あのプリンスのハウススタジオ、ペイズリー・パーク・スタジオでした。

そこで、これまでの楽曲に、もう一度新しい息を吹き込んだアルバム「the BADDEST」は、200万枚を超える大ヒットに。

こうして、アメリカのスタジオで活動をした久保田利伸さんは、「全米デビューを果たしたい!」という、次の夢が膨らんできました。そして、1993年、ニューヨークに移り住みます。

アメリカの音楽業界は日本とは違い、ジャンル分けがキッチリとされています。ラジオ局も、R&Bだけとか、1つのジャンルしかかけない所が多いのです。

そこで、久保田さんは、ファンクに特化する事にします。日本では、ポップな1面も見せていましたが、そこは一旦封印し、200曲にもおよぶデモテープの中から、ファンク色の強い楽曲を選曲。すべてアメリカ仕様にブラッシュアップし、アルバム『SUNSHINE, MOONLIGHT』をリリースしました。

「toshi KUBOTA」という一新人として、念願の全米デビューを果たしたのです。

そんな時、日本からドラマの主題歌の話しがやってきました。そのドラマとは木村拓哉さん、山口智子さん主演の「ロングバケーション」

久保田さんは、アメリカとは逆に、封印してきたポップさを全面に出した曲を作ることにします。主人公が売れないモデルと聞き、アイディアもひらめきました。当時、スーパーモデルのナオミ・キャンベルと同じマンションに住んでいて、顔見知りだった事から、彼女にコーラスをお願いする事にしたのです。

こうして生まれたのが、あの名曲でした。このドラマは「ロンバケ現象」を巻き起こし、この曲が流れる頃、月曜日には、街からOLが消えると言われるほどのブームが起きました。

【カバー】

スポンサーリンク
スポンサー




スポンサー




シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサー