「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜 1984年11月14日リリース
井上陽水が松田聖子との対立構造を作ったのでは?という都市伝説のある曲!
自己プロデュース力の強かった中森明菜さんは、上から言われたのをそのまま演じるタイプではなく、衣装なども当時のフリフリミニスカートからロングスカートに変えるなど、アイドル像を自分の意思で変えてきました。
そんな時に飛び込んで来たのが、井上陽水さんからの楽曲提供のお話。
井上陽水さんは頼まれて曲を書くというより、自分が興味を持った人に曲を提供するというスタイルが多かったアーティストです。
この「飾りじゃないのよ涙は」も、中森明菜さんのボーカルに興味を持ち、楽曲を作り、自らレコード会社に連絡を取って、プレゼンテーションした曲だそうです。
なぜ興味を持ったのかは諸説ありますが、陽水さんのバックバンドとしてスタートした安全地帯の玉置浩二さんが「サザン・ウインド」を作曲など、身近な人が中森明菜さんに関わったのもありますが、やはりそのボーカルと、既存のアイドル像を壊そうとしている姿に共感したのではないかと言われています。
ここから都市伝説です。
既存のアイドル像を壊すという意味で、陽水さんは松田聖子さんとの対比、対立構造をこの曲に忍ばせたのではないかとささやかれています。
1981年リリースの松田聖子さんの「白いパラソル」では「涙を糸で繋げば、真珠の首飾り」と歌い、1983年の「瞳はダイヤモンド」では、「涙はダイヤモンド」と歌っています。
それに対し、1年後の1984年にリリースされたこの曲では「真珠じゃないのよ涙は!」「ダイヤと違うの涙は!」というフレーズが入れ込まれいます。
出だしの「私は泣いた事が無い」にしても、よく泣く事で「ぶりっ子」と呼ばれた松田聖子さんの否定から入っているのではないかという説も。
まあ、これらはあくまでも説なんですが、この歌が歌番組で披露されるや大きな話題となり、オリコンチャートで初登場1位にランクされました。
1994年にリリースされた中森明菜さんのカバーアルバム「歌姫」。これが出される時には自らタイトルを書いて贈り、その文字がアルバムのジャケットになっています。中森明菜さんに思い入れがあった事は、間違いがなさそうです。