「フレンズ」レベッカ 1985年10月21日リリース
求められすぎて拒否反応が生まれ、歌詞が書けなくなりバンドは解散へ!
レベッカは、1985年に「フレンズ」をヒットさせると、一躍売れっ子となり、多忙な日々を過ごしていました。歌番組への出演、ツアーと、目まぐるしいスケジュールの中で、楽曲制作も求められ、メンバーは寝る時間を削って、曲作りを行いました。
作詞担当のNOKKOさんも同様で、スケジュールの都合で、1日で歌詞を書きあげるように、求められる事も少なくありませんでした。しかも、要求されるのは「フレンズのような曲」というオーダー。
こうした中で、NOKKOさんは「フレンズ」に対する拒否反応が生まれ、歌詞が書けなくなり、バンドは活動停止、そして解散へ。
自分のペースで活動する為に、ソロ活動を始めますが、それでも求められるのは「フレンズ」のような曲。そこで、そのプレッシャーから逃れる為に、2006年、ついに一切の音楽活動を、休止する事にしました。
結婚し、出産し、熱海に移住し、のんびりと子育てに専念する日々。しかし、この一度、音楽から離れた事が、いい影響も生み出しました。私生活が充実し、満ち足りた事で、音楽に向き合う余裕が出来たのです。
そこで、地元の熱海で音楽活動を再開。まずは、熱海の小さな野外ライブ会場で、子守歌のコンサートを行いました。ところがその客席から「フレンズ」のリクエストが飛び出したのです。
あれだけ拒否反応を示していた曲なのに、このときは違いました。自分でも驚くほど自然に、「フレンズ」のメロディーが出てきたのです。
こうして、トラウマを克服したNOKKOさんは、今ならまた違った歌い方が出来ると、封印していたレベッカの曲をセルフカバーしたアルバム「KISS」を作ることにしました。それと同時に、音楽活動を休止中に自分の心に響いた、名曲もカバーし収録。
名曲をカバーし、その曲が持つ力で音楽への情熱を取り戻したNOKKOさん。セルフカバーをきっかけに、レベッカの曲を歌う音楽活動も再開。2014年12月には六本木で開催されたソロライブにレベッカのメンバーがゲスト出演し、当時の曲を披露。こうして、あの再結成への道がスタートしたのでした。
【カバー】