「少女A」中森明菜 1982年7月28日リリース
「少女A」は明菜の「A」だと捉え、当初やんちゃなイメージで歌う事を拒否した!
中森明菜さんは、1981年のオーディション番組の「スター誕生!」本選で山口百恵さんの「夢先案内人」を歌い、史上最高得点となる392点で合格。翌年にシングル「スローモーション」でデビューを果たします。
作詞「来生えつこ」さん、作曲「来生たかお」さんによる楽曲の評価は高かったものの、最高位30位に終わり、当時の花形番組「ザ・ベストテン」にも出演はできず、2作目の巻き返しが課題となりました。
そこで、プロデューサーは、多くの作詞家や作曲家からコンペ形式で楽曲を募し、その中からセカンドシングルを選ぶ事に。そこで選ばれたのが、まだ作詞家になって1年の売野雅勇さんが書いた「少女A」の歌詞だったのです。
当時は、松田聖子さんの「ブリッ子」に対し、中森明菜さんの「ツッパリ」イメージが、対極としてありました。
広告代理店出身の売野さんは、中森明菜さんのイメージを山口百恵さんと重ねツッパリをイメージさせる曲、『プレイバックPart2』などを研究。「バカにしないでよ」のように、捨てゼリフが決め手な事を発見します。「私は私よ 関係ないわ」とか「特別じゃない どこにもいるわ」など、言い放つ台詞を歌詞として並べ、サビも「ねえあなた、ねえあなた」だったものを、もっと強い『じれったい、じれったい』に変えました。
こうして、デビュー曲とは正反対の、攻撃的な曲が完成したのです。
ところが問題が起きます。「いやだ!絶対に歌いたくない」と明菜さんが、この曲を歌うことを、頑なに拒否したのです。
「少女A」というのは、反抗期の少女の総称だったのですが、本人は明菜の「A」だと捉え、自分の隠していたやんちゃな一面を、全面的にカミングアウトしてしまう歌だと思いこんだのです。
それほど、隠していた自分のイメージと、ピッタリで、「なぜ、こんなに調べ上げて書いたのか」と、抗議したほどだったそうです。
しかしリリースすると、少女達の共感を呼び、40万枚を超える大ヒット!中森明菜というアイドル像を表す、代表曲となりました。
山口百恵さんと中森明菜さんの雰囲気似ているという人がいますが、この曲は『プレイバックPart2』を研究した歌であるほか、編曲家はどちらも萩田光雄さん。そして萩田さんが指名したギタリストは、プレイバックPart2を弾いていた矢島賢さん。バックの音は、共通したメンバーで、似ているのは狙いなのです。
【カバー】