たま「さよなら人類」柳原脱退後に封印され解散まで演奏される事がなかった曲

「さよなら人類」たま 1990年5月5日リリース

柳原脱退後に封印され、解散まで演奏させる事がなかった曲

「たま」は最初、知久さんと柳原さんと、石川さんの3人で結成されました。当初は3人共ギターで弾き語りするシンガーソングライターだったのですが、それでは形になりにくいので、ギターの上手い知久さんを残して、柳原さんがキーボード、石川さんが太鼓にまわり、バンドごっこをする事にしたのです。そして、ビートルズのように自分の作った曲でボーカルをとり、他はコーラスというか、合いの手をいれる事に。石川さんは当初はロン毛でした。しかしパーカッションを叩くうちに汗だくとなり、途中で服を脱いでいたので、だったらとランニングと坊主の山下清風のスタイルになりました。

元々プロになる気がなかったので、柳原さんがバンドの解散を提案しましたが、知久さんがバンドの必要性を訴え、ベースを入れて本格的に活動する事に。ここで滝本さんが参加して「たま」は4人編成に。

こうして本格的に活動が始まったのですが、当時の女性スタッフがTBSの「平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国」に勝手に応募してしまいます。ロックじゃないし、イカすバンドでもないとメンバーは反対したのですが、テレビに出るっていうのは、ライブのチラシの100倍くらいの効果があると説得され、しぶしぶ出る事に。

TVは演奏を見せる事が目的だったので5週勝ち抜かないでおこうと考えました。そこで代表曲だった「らんちう」を選び、2週目に「さよなら人類」をもって来ました。

「さよなら人類」をタイトルにもって来たのは、自分達を大きく見せようとしたからと語ります。はっぴいえんどに「さよならアメリカさよならニッポン」という曲があって、小松左京の小説に「さよならジュピター」があり、大友克洋のマンガに「さよならにっぽん」というのがあり、タイトルに「さよなら」をつけたら大物感が出るなと思い、フレーズをあたためていました。

童謡のようなゆったりしたメロディでありながら、映画「猿の惑星」を思わせるような、人類の未来を予言するような壮大な物語は、見る者を引きつけました。ロックバンド全盛期に、真逆の脱力するような音楽は審査員の間でも評価が分かれましたが、その独自性から「換えが聞かないバンド」として、あれよあれよと5週勝ち抜き。3代目グランドイカ天キングに輝きました。

1990年、シングル『さよなら人類/らんちう』でメジャーデビュー。オリコン初登場1位、売上約60万枚を記録し、NHK紅白歌合戦への出場も果たしました。しかし、「さよなら人類」のシングルのジャケットは、最初打ち合わせしていたのとは全然違う物になっていて、「発売日を遅らせてでも変えたい」というメンバーの申し出も通らず、自由のきかないメジャーの波に飲み込まれていきました。

1992年、自分たちの表現に徹したいという事で独立し個人事務所を設立。1995年に柳原さんが脱退し、たまは3人で活動する事に。「さよなら人類」は柳原さんがボーカルの曲として封印され、解散ライブの時まで演奏される事はありませんでした。

【カバー】

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