「壊れかけのRadio」徳永英明 1990年7月7日リリース
何故1番の歌詞はラジオで、サビは「radio」なのか?
4枚目のシングル「輝きながら…」5枚目の「風のエオリア」など、CMソングとのタイアップでスマッシュヒットを飛ばし、順調に見えていた徳永さんですが、実は悩みを抱えていたそうです。
ヒットして有名になったのは嬉しかったのですが、「輝きながら…」は作詞も作曲も別の人が作った物で、シンガーソングライターを目指していた自分からすると、少し不本意な形でした。「風のエオリア」の作曲は自分でしたが、作詞は前作に続く大津あきらさん。自分に任せて貰えない事で、シンガーソングライターとしてやっていけるのかどうか不安になったのだそうです。
この年、3ヶ月間で53本というハードなツアーをやり、夏には栃木県の那須塩原温泉で1万人を集めてのライブ。秋には学園祭を18本やって、年末には念願の日本武道館と大忙しだったのですが、事務所の方針と徐々にズレが生じ、長年一緒に頑張って来た事務所と別れ、独立する事にしました。
その時に「本当の幸せ」を考えたのですが、浮かんで来たのが、中学高校時代にラジオで音楽を聴いていた頃だったそうです。「ベッドに置いていた 初めて買った黒いラジオ」このラジオは実在の物で、それを聴きながら、音楽を勉強していた頃が一番楽しかったなあという想い出を歌っています。
歌詞に出てくる祭りも実在のもので、近くのボウリング場の広場でお祭りがあって祭りの後片付けをしながら、眺めていた風景の事を歌っています。
このエピソードはライブのMCや出演したラジオ番組でも語られています。
「思春期に少年から 大人に変わる」事務所の方針で、売れる為に不本意な形での音楽活動を続けていた自分の事です。
では、なぜ1番では「ラジオ」と歌っているのに「サビは壊れかけのRadio」なのでしょうか?もちろん、語感というのもあると思います。でも実際は自分の事を投影して、過去をラジオ、今を事務所の方針で成功を演出されたお洒落な「Radio」とし、その「Radio」が精神的に壊れかけで、本当にこれでいいのかと自分自身に問いかけている比喩なのではないでしょう?
【カバー】