「負けないで」ZARD 1993年1月27日にリリース
極度のあがり症でテレビ番組に出ることを拒否した!
ZARDの6枚目のシングル。
ZARDは極端にメディア出演の少ないアーティストでした。テレビに出た回数も数えるほど。
テレビに出ない理由は、坂井泉水さんが、極度の緊張症だった事も理由の一つでした。ご本人も雑誌のインタビューで、「短い瞬間にパッと出て、自分の話をするのが苦手なんですよ。私はいつも本当に言葉を大切にしているので、だから、音楽でそれが伝わればいいなと願っています。」と歌詞にこだわる理由を、そう答えています。
ZARDは、曲が先に出来上がって、それに歌詞をつける曲先行パターンで、曲作りをしていました。その為、普段から、思いついた言葉や詞のフレーズを何冊にも及ぶノートに書き留めていました。
音にハマらないと、全てが台無しになってしまう為、言葉の文字数にもこだわりました。例えば、愛にまつわるフレーズも、3文字の物、4文字の物、5文字の物という風に分類して、ストックして行きました。こうして書きためたノートは、何冊もあったそうです。
坂井さんによると、自分の作詞スタイルは「陶芸」に近く、作っては壊し、作っては壊しの、繰り返し。納得出来るまで、やり直すので、人より時間がかかるタイプだったそうです。
「負けないで」も、聴く人に一番伝わる言葉は何か、最後まで考え続け、レコーディングの途中に「最後まであきらめないで」から「最後まで走りぬけて」に変更しています。
この曲が、リリースされた1993年は、バブルの崩壊による、倒産や失業が、相次いだ年でもあります。
坂井さんは、曲が先に出来上がって来たのを聞いて、「今回は応援歌を作ろう」と、すぐに思い浮かびました。当初は、受験生への応援をイメージして書かれましたが、多くの人の心に響く歌詞は、仕事や、スポーツ、何かを頑張る人達が、自分への応援歌だと、とらえました。
24時間テレビのマラソンでも、応援歌として使われてきましたが、マラソンの有森裕子さんも、「ランナーは過酷な状況の下、自分と向き合いながら走っている。そういう中で、頭の中にこの曲が流れると励みになる」と、実際に、勇気づけられた事を話しています。
高校野球でも、熱い戦いが繰り広げられますが、この曲は、1994年に選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれています。