「大都会」クリスタルキング 1979年11月21日リリース
大都会とは東京じゃなく長崎の佐世保からみた博多だった!
誰もが知る大ヒット曲「大都会」。この曲を聞くと、東京の風景を思い浮かべがちですが、実は、この大都会の舞台は東京ではなく、九州の博多だという事、皆さんは、ご存じでしょうか?
クリスタルキングは、九州、長崎県の佐世保で結成されたグループです。米軍キャンプのクラブや、佐世保市内のディスコで、アメリカの音楽を演奏したりしながら、活動をしていました。
演奏が良くないと、ノってくれないという、厳しい環境の中で腕を磨くうちに、その実力は、九州内にも広まり、博多のディスコから好待遇で引き抜かれ、博多に拠点を移す事となります。
当時の佐世保から見れば、博多は大都会。メンバーは胸を躍らせて、都会にやってきました。ところが、待ち受けていたのは、厳しい現実と葛藤でした。貰った仕事は、クラブやディスコで生演奏する、いわゆるハコバンド。客が踊るために一日中演奏する毎日で、自分達の音楽が出来ません。
夢と現実のギャップに耐えられなくなり、「こんな活動を続けるぐらいなら、いっそバンドを解散しよう」という話しになってしまいました。
そこで最後に、ちゃんと自分達の歌を評価してもらい、それでダメだったら、音楽をやめる決意で、ヤマハが主催するコンテスト出場する事にしました。そして、今の自分達の気持ちを、全部歌にぶつけたのです。
出だしの歌詞「あーあ、果てしない、夢を追い続け」というのは、佐世保から夢をもって、博多に来た時の事。「裏切りの街では」というのは、夢と現実の違いで、夢が叶わず、裏切り続けられたという、現状の事。
メロディーは、審査員の度肝を抜くために、「3オクターブの美声」と賞賛された田中昌之(まさゆき)さんのハイトーンボイスから入る事にしました。
こうして、自分達の全てを全部出し切った、この「大都会」は、世界歌謡祭で、グランプリを受賞する事となったのです。
曲がリリースされると、当時ヒットしていた久保田早紀の「異邦人」を抜きオリコンの1位に!トータル150万枚を記録する、大ヒット曲となったのでした。
【カバー】