郷ひろみ「よろしく哀愁」万年2位を打破する為にアイドル像をイメージチェンジ

「よろしく哀愁」郷ひろみ 1974年9月21日リリース

万年2位を打破する為にイメージチェンジで作られた曲!

郷ひろみさんが、ジャニーズ事務所出身だというのを知らない方も増えてきましたが、郷さんの芸能生活は、ジャニーズ事務所からスタートしています。

1971年に映画「潮騒」のオーディションを受け、不合格だったものの、プロフィールがジャニーズ事務所の目にとまり、スカウトされます。そして、フォーリーブスのバックダンサーとしてステージへ。

当時はまだ、本名の原武裕美(はらたけ・ひろみ)で活動していましたが、ファンからの声援「レッツゴーひろみ」にヒントを得て、郷ひろみという芸名になります。

のちに、郷ひろみさんを加えて「新御三家」と呼ばれる事になる、野口五郎さん、西城秀樹さんが、一足お先にデビューしていたのですが、演歌出身の歌唱力で売る野口五郎さん、男らしさで売る西城秀樹さんと差別化する為に、郷さんは、中性的な可愛らしさで売る事になります。

そこで用意されたのがデビュー曲の「男の子女のコ」売り上げは期待した程、伸びなかったのですが、「きみたち女の子 ぼくたち男の子」という歌詞とともに、芸名の一部でもある「GO GO」と連呼する曲は、インパクトを残し、「郷ひろみ」の名前を世間に広める事に成功しました。

中性的な男性として、女性達の人気を獲得していった郷ひろみさんですが、なかなかチャートでは1位を取る事が出来ませんでした。健闘はするものの、なぜかいつも2位止まり。

そこで、10枚目のシングルをリリースするのをきっかけに、レコード会社のプロデューサーは、そのアイドル像をモデルチェンジする事にしました。

明るいキャラクターで人気を博していた郷さんの、意外なイメージ。もしかしたら、この明るさの裏には、影があるかもしれない。そういうイメージを、印象づける言葉を探しているうちに浮かんだのが「哀愁」という言葉でした。

16歳でデビューし、可愛い男とのコとして売り出して来ましたが、もうすぐ19歳、最後の十代を迎えようとしていた時。これまでよりは、少し大人っぽく、影のあるこの曲がリリースされました。

この曲で、郷ひろみさんは、念願のチャート1位を獲得。そして、ジャニーズ事務所にとっても、初の1位となりました。日本レコード大賞、日本歌謡大賞、ゴールデンアロー賞と数々のビッグタイトルを獲得し、一躍トップの座に登り詰める事となったのです。

【カバー】

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