「ら・ら・ら」大黒摩季 1995年2月20日リリース
実際の人物はいないという都市伝説を破り、初めて人前で歌った曲!
すぐにデビューするより、きちんと実力をつけてからデビューした方が、アーティストとして大成するという助言で、数々のアーティストの元で、コーラスを勤め、歌の実力を磨いて行った、大黒摩季さん。
その甲斐あって、セカンドシングルの「DA・KA・RA」でチャート2位を獲得すると、順調にヒットを飛ばし、9枚目のシングル「永遠の夢に向かって」10枚目の「ら・ら・ら」と、2作連続1位に輝きました。
ところが、このあたりから、大黒摩季さんにまつわる妙な都市伝説が語られ始めます。「大黒摩季という、実際の人物はいないのではないか?」というもの。CDジャケットでは美貌を見せつけ、抜群の歌唱力を誇る存在で、ヒット曲も連発しているにもかかわらず、テレビには一切出演せず、ライブも行わない活動方針だったからです。
これは同じ事務所に所属したZARDなどもそうだったのですが、ビーイングのアーティストは、テレビに出ないという戦略をとっていました。今のように、インターネットが発達していな時代でしたので、メディアに露出しない事で、情報入手の手段が限られ、それを、CDに集約しようという戦略だったのです。
その為、ビーイング系のアーティストは、謎の存在とされてきました。
大黒摩季さんが、その謎のベールを取り払ったのは、1996年の9月。北海道札幌市の「真駒内アイスアリーナ」で行われた、「ゆうあいピック北海道大会」という、スポーツイベントでした。この大会のテーマソングを作った縁で、閉会式で、大黒摩季さんのビデオコンサートが行われたのですが、実は、シークレットで、その後に本人が登場し、初めて人前で歌ったのです。曲は、「風になれ」「熱くなれ」「ら・ら・ら」の3曲。
メールもツイッターもない時代だったのに、そのニュースは瞬く間に、ファンの間に広がって生きました。「ついに大黒摩季の生歌が聴ける」
翌年、正式に行われた東京有明での初のライブには、4万7千人もの人が押しかけ、初の「生」大黒摩季を堪能しました。アンコールの最後の曲は、「ら・ら・ら」4万7千人の観客が一体となって、彼女と共にこの曲を歌い上げました。
大黒摩季さんは、1992年にデビューしてから4年間、人前で歌う事がありませんでした。シークレットゲストとして初めて人前で歌ってからずっと、ライブの最後を締めくくる定番ソングは、この曲「ら・ら・ら」でした。
【カバー】