「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」郷ひろみ 1984年2月25日リリース
当初ヒットしなかったのに、皆がモノマネして代表曲に!
この曲はJRになる前、国鉄の最後のキャンペーンソングです。
国鉄のキャンペーンソングといえば、1970年から始めたキャンペーン『ディスカバー・ジャパン』の一貫としてスタートした紀行番組「遠くへ行きたい」の主題歌として、デュークエイセスが「遠くへ行きたい」をリリース。この主題歌は、その後、岩崎宏美、石川さゆり、さだまさし、元ちとせ、森山直太朗と、歌手を変えて、歌い継がれています。
そして『ディスカバー・ジャパン』のCMソングとして有名なのが、山口百恵の「いい日旅立ち」。1978年に発表されて大ヒット。作詞作曲は当時フォークグループ「アリス」で活躍していた谷村新司さん。このキャンペーンソングは、コンペ方式で色んなアーティストが提出しているのですが、武田鉄矢さん率いる海援隊は「思えば遠くへ来たもんだ」を提出するもボツとなり、自分達で歌ってヒットする事に。
1984年、国鉄は「エキゾチック・ジャパン」のキャンペーンを開始しする事に。
ディスカバージャパンの「いい日旅立ち」は、日本情緒があって、旅したい気分にさせてくれるという物でしたが、「エキゾチック・ジャパン」の頃は、1978年に成田国際空港が開港し、人々の興味は海外へ。消費の主役、アンノン族と呼ばれた若い女性の間では海外旅行がブームに。
そんなブームを受けてか、旅をテーマにしたヒット曲も生まれました。庄野真代の「飛んでイスタンブール」や、シルクロードがテーマの久保田早紀「異邦人」、エーゲ海が舞台のジュディー・オング「魅せられて」など、海外をテーマんした物がヒットしていました。
そんな中での国鉄のキャンペーンは、「日本も十分にエキゾチックだ」という事で、「エキゾチック・ジャパン」に。その主題歌として選ばれたのが、郷ひろみさんの「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」。郷さんのお父さんは国鉄の職員で、郷さんが1日駅長を務めた時は、2ショットを披露するなど、国鉄との繋がりをイメージさせる事も、決めての一つだったと言われています。
ところが、この「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」は思ったほどヒットしませんでした。売り上げは21万枚で、オリコンチャートは週間7位が最高。
まず、当時の国鉄は、分割民営化論争の真っ只中で、キャンペーンに力を入れる余裕がありませんでした。国鉄の親方日の丸と呼ばれる非効率な経営で、負債債務が雪だるまのように積み重なり、経費削減で新規採用が見送られる年も出るほど。こうして大々的なキャンペーンが行われない中、「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンは、1987年3月の国鉄分割民営化によりひっそりと終了してしまいます。
なぜ、ヒットしないのに、今や国民の知る代表曲となったのでしょうか?2021年を締めくくる第72回NHK紅白歌合戦でも、郷ひろみさんはこの曲を歌います。
この曲の歌詞を書いたのは、売野雅勇さん。この曲は、人称代名詞を使わないという課題を自ら課して作ったそうなのですが、結果として、キャッチーな「ジャパーン」など耳に残るフレーズをメインとして、意味不明な歌詞に。国鉄のキャンペーンソングなのに「恋人たちを乗せた青い飛行船」と、海外旅行を連想させてしまうフレーズ。海外旅行から客を取り戻すキャンペーンなのに、よくこれが通ったなという内容なのです。混乱していた国鉄だから、通ったのでしょうか?
そして作曲、編曲の井上大輔さんの、「エキゾチック」だけを意識したような派手なアレンジ。歌い出しの「オクセンマン」のコーラスも、井上さんがアレンジで付け加え、意味不明なお祭り騒ぎが加速。
でも、このテンションだけ高い曲を、郷ひろみさんはカッコ良く歌いこなしてしまうのです。派手な身振り手振り、スーツを開いたりとじたりのアクション、そしてその歌唱力で、郷さんは歌い上げます。郷さんにしか出来ない歌い方でした。
これこそが郷ひろみの形として、モノマネに使われるようになって行きます。モノマネ番組のたびに誰かがこの曲を歌唱し、本人が歌うより、数多い露出。郷さんが歌わなくても、誰かが郷さんになりきって歌う。こうして「郷ひろみ=2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」のイメージは、どんどん強くなって行ったのです。
当初、ヒットしなかったのに、こうして、今や国民の誰もが知る代表曲となったのでした。
【カバー】