コブクロ「風」リミットまで曲が出来ずプロになって新たな生みの苦しみを味わった曲!

「風」コブクロ 2002年2月14日リリース

プロになって新たな生みの苦しみを味わった曲!

今から19年前。コブクロの二人は、大阪・堺東の「銀座通り商店街」の路上で出会いました。

サラリーマンをやりながら、土曜の夜に路上ライブをしていた小渕健太郎さん。その2年前から、同じ場所で路上ライブをしていた黒田俊介さん。

互いの歌を聴くうちに「歌、めっちゃうまいなあ」と感動し合い、話をするようになりました。そして、意気投合した二人は、一緒に音楽をやる事にします。小渕の「コブ」と黒田の「クロ」をとって、「コブクロ」が誕生しました。

二人で活動するようになると、評判が評判を呼び、商店街の路上ライブに、200人から300人の人が集まるようになりました。そして、アマチュアとしては異例の、ライブハウス「ZeppOsaka」での2days単独ライブを行うまでになります。こうして、大阪で人気をつかんだ二人は、メジャーデビューの切符を手にしたのでした。

2001年「YELL〜エール〜/Bell」で、メジャーデビューし、3枚のシングルを、ヒットさせました。

それまでの3枚は、路上ライブ時代から、すでに出来ていた曲だったのですが、4枚目は、これから新たに生み出す曲にしようという事に。しかし、リリース日は決定しているのに、いっこうに新たなメロディーが生まれてきません。二人は初めて、産みの苦しみを味わう事となったのです。

プロデューが心配して、「ストックしているフレーズとかないの?」と、いろいろフレーズを弾かせてみても、どれもピンと来ません。色々出し尽くしてフレーズが無くなり、小渕さんが、かなり初期の頃に作ったフレーズを弾いてみたところプロデューサーが「それだ!」と声をあげたのです。

それが「風」のサビのフレーズだったのです。そこから作り上げた曲を、試しにライブで歌ってみると、大反響。4枚目のシングルとしてリリースされると、ロングヒットを続けたのでした。

金沢でのライブの時、「風」の演奏中にギターの弦が切れ、ふたりはそのまま、最後のサビをアカペラで歌いました。そのアクシデントから生まれたライブが心地よかったと、サビでギター演奏を止め、あえて、アカペラで歌う演出が、生まれたのでした。

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