最初は演歌歌手になる事を目指していた!「1986年のマリリン」本田美奈子


「1986年のマリリン」本田美奈子
1986年2月5日リリース

意外なようですが、本田美奈子さんがなりたかったのは、アイドルではなく、演歌歌手だったのだそうです。幼い頃から、歌を歌うことが大好きだったのですが、母親の影響で、小学生の頃は、金井克子さんや山本リンダさんといった、大人のポップスを歌い、中学に入ると、都はるみさんや、石川さゆりさんといった演歌を歌っていたそうです。

なので、事務所にスタウトされた時も「演歌歌手になりたい」と申し出たのですが、事務所が演歌歌手を育てた事がなかったので、まずは、歌手としてデビューして、経験を積んだ後に、改めて演歌歌手として売り出していこうという事になりました。

そこで、まずはアイドルとしてデビューする事になったのですが、デビュー曲は、当初用意された曲ではなく、その他の曲の中にあった「殺意のバカンス」を、ファーストシングルにしたいと、本人が言い出したのです。

彼女は、他のアイドルと同じ、キュートで、ポップな歌を歌うことが嫌で、当時のアイドルのデビュー曲としては、異例とも言える、歌詞が少し過激な、この曲を選んだのです。こうして、他のアイドルとは違う独自路線を進む事に。

さらに、次の新曲は、ラジオ番組での共演で、顔見知りであった、秋元康さんに作詞をお願いする事にしたのですが、本田美奈子さんは、秋元さんに直接、こうお願いしました。「もっと、色っぽい曲が歌いたいんです」そこで秋元さんは彼女をマリリン・モンローに見立てて歌詞を書くことを提案して来ました。さらに、当時マリリン・モンローの再来といわれ、強くてセクシーで、格好良い女性の代名詞と言われたマドンナもイメージする楽曲を作る事にしたのです。

本田美奈子さんは、マリリン・モンローの映画をビデオで研究し、ヘソを出したステージ衣装で、腰を振って踊る振付を考え出しました。

当時は、アイドルがヘソを出して、歌うなんて常識外れでした。でも、その常識にとらわれない決断が、本田美奈子という存在を、確固たる物にしていったのでした。

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