シーナ&ザ・ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」作詞は糸井重里に依頼

「ピンナップ・ベイビー・ブルース」シーナ&ザ・ロケッツ 1981年7月21日リリース

言葉の魔術師、糸井重里に作詞をお願いした!

日本のロックシーンで、早い段階でメジャーになった、女性ロック・ヴォーカリストの第一人者、シーナさん。実は、博多から東京に出てきた時は、夫である鮎川誠さんの付き添いで、歌い手になる予定は、なかったのだそうです。

子供の頃から、歌うのは好きでしたが、プロを目指していた訳ではなく、あくまでも、趣味の範疇。レコードに合わせて、口ずさんだりはしましたが、本格的にバンドで歌った事はありませんでした。

転機となったのは、鮎川さんのスタジオに見学に行った時の事。鮎川さんのギターに合わせて、他の女性ボーカリストが、唄っていたのですが、シーナさんが、次第にイライラし始め、「そんな歌い方は、ロックじゃない」という言葉が、口から出てしまいました。「だったら、あなたが歌ったら?」と、売り言葉に買い言葉でスタートしたのが、ボーカリストの道です。

そして、バンドをして活動するうちに、YMOに見いだされ、細野晴臣さんのプロデュースで、テクノと融合。「ユー・メイ・ドリーム」のヒットで、その名が知れ渡った、シーナ&ザ・ロケッツ。

しかし、元々の自分達のやりたい音楽はロックンロール。売れる事と、やりたい事の、ギャップに、次第にフラストレーションが、溜まって行きました。

そこで、4枚目のアルバム「Pin-up baby blues」のプロデューサーにロカビリーの先駆者、ミッキー・カーチスさんを迎える事に。ミッキーさんは、矢沢永吉さんのいたキャロルをプロデュースするなど、ロックンロールの作り方には、定評があったのです。

そして、日本語でロックを歌う時に大事な言葉選び。こちらには、当時脚光を浴びていた、言葉の魔術師にお願いする事にしました。それは人気コピーライターとして活躍し、沢田研二さんのTOKIOの作詞で、脚光を浴びていた、糸井重里さんでした。

こうして作り上げられたこの曲の収録されたアルバム「Pin-up baby blues」は、様々な音楽誌で、名盤として取りあげられています。

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