兵役の無い女性K-POPスターを作る必要があった!「LISTEN TO MY HEART」BoA 


「LISTEN TO MY HEART」BoA 
2002年1月17日リリース

BoAは、女性K−POPアーティストの先駆け的存在。今あるK-POPの道を、1人で切り開いて来たアーティストです。

ストリートダンサーだったお兄さんのオーディションについて行ったBoA、当時小学5年生。部屋の片隅で見学していたのですが、「あなたも歌ってみる?」と言われ、歌を披露すると、お兄さんではなく、BoAがスカウトされました。

当時は、10代の女性アーティストは存在せず、男性アーディストが中心。しかし男性アーティストは兵役がある為に、絶頂期に活動を休止せねばならず、所属事務所は、女性アーティストの育成を計画している所だったのです。

中学に入ると、スパルタ教育が始まりました。今ではK-POPのアーティストが、長い研修期間を経てデビューする事は広く知られていますが、そのシステムは、BoAからスタートしました。

平日は5時間、休日は10時間の、ダンスレッスンとボイストレーニング。これを受けるために、毎日2時間の道のりを、通い続けました。

さらに、韓国を飛び出し、日本、台湾、香港、シンガポールなどでの活躍も、視野に入れていたので、日本語、中国語、英語のレッスンも。毎日が、アジアの歌姫となる為の、練習漬けの日々でした。

こうして、2000年、8月25日、まずは韓国で1stシングル「ID; Peace B」でデビュー。すぐに頭角を現し、その年の歌謡祭で、女性新人賞を受賞しました。

その一方で、日本でのデビューに向けて、日本に渡り、NHKアナウンサーの家にホームステイし、日本語の特訓。こうして、日本と韓国を往復する生活が始まり、パスポートは1年で4冊に。

そして、5月30日、韓国でのデビュー曲を日本語版に作り替えた、「ID; Peace B」で、日本デビュー。実力は文句なしで、すぐに音楽関係者の目に止まったのですが、世間一般的に、当時、アジアの歌姫というと、歌謡曲や演歌のイメージで、最初は、なかなかブレイク出来ずにいました。

しかし、4枚目のシングルが、携帯電話のCMに採用され大量OAされると、歌唱力の素晴らしさから、レコード会社に問い合わせが殺到!これをきっかけに、BoAの名前は、日本に大きく広がって行く事になりました。

今のK-POPアーティストのスタイル、厳しい研修期間、韓国と日本同時デビューの言葉の壁など、それを最初に乗り越えたのが、BoAで、K-POPのパイオニア的存在です。

スポンサーリンク
スポンサー




スポンサー




シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサー