「ダンシングオールナイト」もんた&ブラザース 1980年4月21日リリース
勝負の一曲!この曲が売れなかったら音楽をやめる!
「もんたよしのり」の本名は「門田頼命(かどた・よしのり)」「もんた」とは名字の「門田」の音読みから来ています。
中学で、ビートルズに夢中になり音楽活動を始めます。本格的に、プロになろうと思ったのは、高校生の時。甲子園でもお馴染みの、神戸の報徳学園高校に通っている時の事でした。
ハンドボール部で活躍しながらも、バンド活動の方に夢中になり、高校を中退。R&Bやソウルを歌いながら、プロとしての活動をスタートさせました。そのパワフルな歌声から、「神戸のジェームスブラウン」と呼ばれるなど、次第にその存在が知られるように。
1971年、二十歳の時に、満を持して上京し、シングル「この足の鎖ひきちぎりたい」でソロ歌手としてデビューしました。
ところがプロの世界は、そんな甘い物ではなく、デビューしたものの、レコードは売れませんでした。地道にライブハウスなどを回って活動するものの、鳴かず飛ばず。
28歳の時に、音楽活動の限界を感じ、1度、神戸に戻ることにします。メジャーヒットが無い限り、音楽活動を続ける事は出来ない。そこで、最後の賭に出る事にしました。
2年間、作曲活動だけに集中し、100を越える数の曲を作りました。そして、30歳を前にして、その中から最高の一曲を選び、勝負に出ました。それが「ダンシングオールナイト」これがヒットしなかったら、音楽をやめる。
ところが、4月に発売するも、当初は話題にならず、ダメかと思われました。しかし、実は有線の方で話題になっていて、それを聞いたレコード店の人達が、これは売れると、仕入れをはじめたのです。その結果、翌週には一気に4位まで浮上。さらに、その翌週にチャートで1位を獲得すると、そこから10週連続で1位を独占しました。
もんたさんの諦めない気持ちが、実を結んだ瞬間でした。
結果、160万枚を超える大ヒットになり、全日本有線放送大賞、レコード大賞金賞、日本歌謡大賞放送音楽特別賞など賞を総なめ。この年だけでなく、1980年代全体で、一番売れた曲となりました。
【カバー】