松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」2020年に世界12カ国で1位を獲得

「真夜中のドア〜Stay With Me」松原みき 1979年11月5日リリース

2020年に世界12カ国で1位を獲得

大阪で生まれた松原みきさんは、元ジャズ歌手の母親の影響で、幼い頃から音楽に親しんでいました。そんな環境もあり、中学時代からバンド活動を始めました。

高校3年生の時、プロになりたいという気持ちが高まり、東京の高校に転校。米軍キャンプや、ライブハウスなどで、歌を歌いはじめました。

そんなある日、六本木のジャズスポット「バードランド」に出演すると、客席に、ジャズピアニストの世良譲さんがいて、彼女を絶賛。それがきっかけで、音楽業界に、彼女の存在が知れ渡り、デビューの話しが舞い込みます。

デビュー曲の「真夜中のドア Stay With Me」は作詞三浦徳子、作曲林哲司というヒットメーカーによる作品で、アイドル全盛の時代にあって、おしゃれな曲と、抜群の歌唱力で、差別化を計りました。その結果、レコードは30万枚を売り上げ、数々の賞も受賞しました。

ただし、当時はアイドル全盛時代だった為、実力は評価されつつも、その後は、なかなかセールスを伸ばす事は出来ませんでした。

そこで、松原みきさんは、ある挑戦を行います。スージー・松原と名前を変え、アニメ『Gu-Guガンモ』のテーマ曲『ガンモ・ドキッ!』を歌ったのです。

これが好評で、アニメ界とのパイプが出来た松原さんは、1990年代以降は、歌手としての活動を休止し、作曲家として、活動をするようになります。アニソンの作曲家として、ガンダムシリーズや、『おジャ魔女どれみシリーズ』の、挿入歌を担当。

作曲家になって、表舞台からは姿を消してからも、いくつかのTVの歌番組の出演依頼が来ましたが、全てお断りしていたそうです。それは、ファンの方の記憶にある「真夜中のドア Stay With Me」の松原みき。それを裏切りたくないという、理由からでした。

作曲家として活躍していた、松原みきさんですが、2001年、子宮頸がんが発覚し、全ての音楽活動を停止して闘病生活に。2004年、惜しまれつつも静かに天国に旅立ちました。44歳でした。

1979年にリリースされたこの曲は、2020年に、世界のApple Music J-Popランキングにおいて12カ国で1位を獲得し、合計47カ国でTOP10入りという現象が起きました。

実は、このリバイバルヒットの影にはインドネシア人の女性YouTuber「レイニッチ(Rainych)」の存在がありました。

近年、日本のシティーポップが海外で注目されているのですが、レイニッチさんが真夜中のドア」や、竹内まりやの「プラスティックラブ」などを日本語カバーし、インドネシアで人気に!そこから元歌がインドネシアで知られるようになり、さらに、アジアの国々の、サブスクに飛び火して、全世界で聞かれるようになったのでした。

【レイニッチ】

【カバー】

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