「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」杉山清貴&オメガトライブ 1985年3月6日リリース
わずか3日間で制作されたヒット曲ですが、バンド解散の引き金に
JALのTVCMのタイアップが決まり、すぐに楽曲を制作しなければならなくなりました。オメガトライブは、作詞は康珍化さん、作曲は林哲司さんという、プロの作った楽曲を歌うことを条件にデビューしたバンドで、このCMタイアップもこの2人で作る事になりました。
関係者から「Only You 君にささやくふたりの夏物語」というCMのキャッチコピーが渡されると、康珍化さんわずか1日で詞を書き上げ林哲司さんに渡しました。林さんも、その詞を元に1日で曲を作り上げました。そこで、全国ツアー中だったメンバーを帰京させて、すぐにレコーディング。「突貫工事的な作業であり、九州から東京の飛行機の中で歌詞を覚えた」と杉山さんは語っています。
こうして、たった3日で作られた曲は、杉山清貴&オメガトライブ最大のヒット曲となり、オリコンチャート上では38万枚を売り上げました。
まさに順風満帆という感じだったのですが、この頃から杉山さんは解散を考え始めました。デビュー曲からヒット曲が立て続けに出たのですが、言われた通りに、言われた曲を歌う事で、本当にやりたい事は何なのか?という疑問が湧くようになり、バンドの脱退を切り出しました。
当時発表された理由は、「グループとしてやりたいことはやり尽くした」という事でしたが、のちに、杉山さんは、当時の気持ちを素直に話すようになりました。
いつか売れたら、自分たちで曲を作り、演奏もしたい。そこで挫折したら自分たちの責任だし納得もする。ところが、売れたらますますその願いは叶わず、与えられるだけで、なにも作らず、言われた通りに歌うように。こんな事をしていたら、ダメになった時に「自分」という物が何も無くなると、脱退をメンバーに宣言しました。
その話からメンバーも、解散派と反対派に分かましたが、最終的には1985年12月24日の横浜文化体育館でのコンサートを最後に解散。
ギターの高島信二さんと、キーボードの西原俊次さんは解散反対派だった2人に、プロデューサーだった藤田浩一さんは、新たなボーカルカルロス・トシキさんを迎え、「1986オメガトライブ」を作ったのでした。
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