オメガトライブはバンド名では無かった!「ガラスのPALM TREE 」杉山清貴&オメガトライブ

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「ガラスのPALM TREE 」杉山清貴&オメガトライブ
1985年11月7日リリース

杉山清貴&オメガトライブとしては、最後となったシングルです。

1983年4月に、SUMMER SUSPICIONでデビュー。翌年リリースされた、君のハートはマリンブルーがドラマの主題歌に。さらに翌年、「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER-」がJALのCMソングとして採用されるなど、ヒットを飛ばし、順風満帆に見えた、杉山清貴&オメガトライブ。

しかし、徐々に杉山清貴さんの中に、ある、もやもやとした気持ちを抱え込むようになります。プロデューサーの言うとおりに、歌っているだけでいいのかという思い。

オメガトライブという名前は、多くの人がバンド名だと認識していますが、実は、バンド名であると同時に、プロデューサー藤田浩一さんの指揮のもと、作曲家の林哲司などの制作陣を中心とした、プロジェクトの総称でもありました。その為、プロデューサーの意見は絶対でした。

ボビー・コールドウェル、ボズ・スキャッグスといったAORをベースに、夏・海・リゾートを漂わせ、徹底的に生活臭を排除した歌詞。洋楽のリスナーを取り込むと共に、歌謡曲のマーケットにも入り込める存在。藤田浩一さんが考えた、コンセプトが見事にハマり、次々に、ヒットを飛ばしました。

ただし、コンセプトを守るために、自分の意見を強く押し通す事もありました。杉山清貴&オメガトライブの曲のほとんどが、藤田さんがオーダーし、林哲司さんが作曲した曲。

その為、アルバムなどに収録される、杉山清貴さんの作曲した曲も、林さんの曲調に合うように、アレンジし直されたのです。それほどまでに、コンセプトを徹底されたのです。

このあたりのエピソードは、2002年にリリースされたCD コンプリートBOXのブックレットに本人達のインタビュー記事として、掲載されています。

完全なる戦略商品のために、プロデューサーの強い要求に縛られ不自由さを感じるようになった、杉山さん。「ステージは最後の砦なので、絶対に口出しされたくなかった」と、ライブはレコードとはアレンジを大幅に変更し、よりダイナミックなバンドサウンドにしていました。

こうして、ズレ始めたプロデューサーとの歯車。そして、1985年11月にシングルをリリースした直後の12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館のライブを最後に解散をします。

83年4月にシングル SUMMER SUSPITION でデビューし、わずか2年半の短い期間をあっという間に駆け抜けた杉山清貴&オメガトライブ。最後のシングルとなったのは、この曲でした。

後のインタビューで、杉山清貴さんは、こんな事を明かしています。

解散したら、そこで全てが無くなるもんだと思っていたんです。アマチュア時代に使っていた練習スタジオ行って、「メンバー募集」という張り紙張って、もう一度、一からバンドを組もうって思っていたんですね。

そしたら、当時のディレクターから電話がかかってきたんですよ。「ソロやるから、楽曲書けって」。

これまでは人の曲ばかりを歌っていたら、作ってみたかったスタイルの楽曲を書きはじめたんです。作って持って行ってはダメ出し、そしてまたダメだしの繰り返し。後半は泣きながら曲作りしてましたね。それが「さよならのオーシャン」なんです。

全てが無くなることを決意して飛び出した、オメガトライブというプロジェクト。しかし、その決断が、杉山清貴というミュージシャンの新たな歴史のスタートとなったのです。

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