尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」資生堂VSカネボウのCMソング戦争から生まれた曲

「マイ・ピュア・レディ」尾崎亜美 1977年2月5日リリース

資生堂VSカネボウのCMソング戦争から生まれた曲!

音楽コンテストで優勝した尾崎亜美さんに、デビューの話が舞い込みました。

そして、レコード会社と、どんな方向性で活動するのか、話し合ったのですが、尾崎亜美さんは、子供の頃に憧れたミュージシャンがいなく、正直、どこを目指せばいいのか、わからないという事を、正直に話しました。

すると、アレンジを担当する事になった、松任谷正隆さんから「歌謡曲とは違う、シンガーソングライター尾崎亜美のカラーを作ろう」と、提案があったのです。

時代は、それまで主流だった歌謡曲から、シンガーソングライターが作る、ニューミュージックへと風向きが変わっている最中でした。

その時、自分が思った気持ちや想いを、歌詞に置き換える。そして、その歌詞を、メロディに乗せてみんなに聞いてもらおうという事に。シンガーソングライター、尾崎亜美の誕生です!

こうして1976年、「冥想」でデビュー。すると、すぐに注目が集まり、資生堂の化粧品、キャンペーンソングへの、楽曲提供の話が舞い込みます。

決まっていたのは、キャンペーンのキャッチコピー「マイ・ピュア・レディ」をタイトルにするという事だけ。どういう曲を作ったらいいのか、わからなくなってしまいました。

そこで、初心を思い出す事に。自分の気持ちに素直になる…というコンセプトを考えた時、「たった今、恋をしそう」というフレーズが思い浮かびました。そこから、いっきに世界が広がり、歌の世界が出来上がっていきました。

この曲が使われたCMには、当時のファッションリーダーだった、小林麻美さんが起用され、1分バージョンでは、「目の前にある物、今、感じている事が大事なんじゃない?」という小林麻美さんの語りが入ると、その後に「たった今、恋をしそう」というフレーズが流れました。それが、若者の心をグッと掴んだのでした。

そしてこの時代は、「資生堂」対「カネボウ」のCM戦争が激しくなっていた事もヒットに結びついた要因でした。1977年の春のキャンペーンで資生堂が小林麻美さんを起用し話題になると、夏のキャンペーンではカネボウが夏目雅子さんを起用し対抗。CM広告費も増え、CMソングとしての露出も増えました。今では普通となった楽曲のCMタイアップ効果が生まれたのも、この頃です。

このヒットで、尾崎亜美には楽曲提供の依頼が殺到しました。そして、杏里さんに「オリビアを聴きながら」高橋真梨子さんに「あなたの空を翔びたい」を提供し、ヒットさせています。

【カバー】

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